もとは棚河大明神、本宮八幡の神と石礫を投げて領田を競った伝説
手長比賣神社 長崎県壱岐市勝本町本宮西触1212
[住所]長崎県壱岐市勝本町本宮西触1212
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手長比賣神社(たながひめじんじゃ、手長比売神社)は、長崎県壱岐市勝本町本宮西触にある神社。本宮八幡神社の南麓。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 壱岐国 壱岐郡「手長比賣神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。

創祀年代は不詳。御祭神は、もとは『式社沿革考』によれば神功皇后、『神名記』によれば手長男神。

鎮座地は、「棚河」(たなごう)と呼ばれている地で、棚河大明神と称されていた。江戸時代前期の慶安2年(1649年)、社殿が造営され、その際の棟札に下記のようにある。
奉造立本宮郷久栄村棚河大明神社壇一宇之事 云々當國所司代西郷右京亮下略
延宝4年(1676年)、式社改めの際、橘三喜により、式内比定された。『式内社調査報告』でも、橘三喜が慶安棟札を重く受け止めた結果だろうと推定、支持している。

式内比定後、御祭神は栲幡千々姫命天忍穂耳尊となった。また、手長比賣神は、本宮八幡の神と石礫を投げて領田を競ったという伝説がある。

八幡神が投げた石は遠くまで飛び、手長比賣神が投げた石は、近くの榎にあたって跳ね返り、足元に落ちてしまった。

そのため、八幡神社の祭田は広いものとなり、手比賣神社の祭田は1反5畝という狭いものになってしまった、というもの。

壱岐国石田郡には「天手長比賣神社/天手長比売神社」という別の式内社があり、郷ノ浦町田中触にはその跡地があって、当社とよく混同されるが、別の神社である。

なお、式内社「手長比賣神社」の論社は、ややこしいが、その天手長比売神社の古社地と、勝本町勝本浦の聖母宮がある。

【ご利益】
夫婦和合、家内安全
手長比賣神社 長崎県壱岐市勝本町本宮西触
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