鹿島神の青波加大明神、式内の国津神社・物部布都神社の論社
[住所]長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良浦1148
[電話]-
国津神社(くにつじんじゃ)は、長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良浦にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 壱岐国 石田郡「国津神社」「物部布都神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
神功皇后が三韓征伐の折、当村の鹿ノ辻に立ち寄り、霊験があったので神殿を造ったのが当社の創祀だという。その後、現在地の矢櫃山に遷座した。
当社の旧号は青波加大明神(明暦2年(1656年))、あるいは荒波加大明神(慶安3年(1650年))。青波加大明神は、武甕槌命の荒御魂だという。
一説に、第13代成務天皇の時、異国征伐のため、阿倍・鳥海2氏を派遣。2氏は渡良の港に着くと、鹿島神に祈願した。
三韓から無事に帰った2氏は鹿の峰に社を建てたのが当社とも。近海を航行する船は、帆を下げて敬意を表わしていたが、これを怠り、神罰を被る舟も多かったという。
旧渡良村の氏神、惣廟として崇敬された。明治の神社改制までは祠官2名、川瀬氏・三富氏を置いて奉仕された。寛文11年(1671年)3月造営時には「青波加大明神」とある。
江戸時代前期の延宝4年(1676年)、式社改めの際、橘三喜は当社を「国津神社」に査定した。それが現在に至るまで、社号として定着したようだ。
ただし、『式内社調査報告』では、国府に近い津神社ということで、津之宮神社を式内社「国津神社」と考えている。
当社の別名を「蓬宮」とも呼び(寛永17年(1640年))、蓬(よもぎ)は、壱岐の方言で「フツ」というため、「フツ宮」であり、布都神社。
そのため、『式内社調査報告』では当社を「物部布都神社」に比定している。
ただ、青波加大明神が武甕槌命であれば、経津主命を連想させる「フツ」とは微妙なずれがあるような気もする。
ともかく、当社は平戸藩主が一貫して崇敬した神社で、大祭に際しては神幸式、流鏑馬の神事が馬廻りの武士の代参のもと執行された、壱岐の神社十七社の一つ。
明治になり、村社に列し、明治40年7月には神饌幣帛料供進社に指定された。御祭神は、足名槌命・手名槌命、奇稲田姫命。武甕槌神を配祀する。
例祭は10月12日で例大祭で神幸・大神楽。6月29日には夏越祭が、11月03日が神迎祭で、大神楽。一の鳥居は明治期、二の鳥居は江戸期のもの。
境内社に天道社(素盞嗚尊)、地神(埴安命)、今社(三富源三郎)がある。境内北側には石庭があり、往古の磐座信仰の痕跡ともされている。
なお、式内社「国津神社」の論社には先の津之宮神社がある。式内社「物部布都神社」の論社は、天手長男神社に合祀されたものがある。
また、時に当社は「津神社」の論社ともされる。他の論社に、津神社と、やはり津之宮神社がある。
【ご利益】
海上・交通安全、武運長久・勝運、家内安全

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『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 壱岐国 石田郡「国津神社」「物部布都神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
神功皇后が三韓征伐の折、当村の鹿ノ辻に立ち寄り、霊験があったので神殿を造ったのが当社の創祀だという。その後、現在地の矢櫃山に遷座した。
当社の旧号は青波加大明神(明暦2年(1656年))、あるいは荒波加大明神(慶安3年(1650年))。青波加大明神は、武甕槌命の荒御魂だという。
一説に、第13代成務天皇の時、異国征伐のため、阿倍・鳥海2氏を派遣。2氏は渡良の港に着くと、鹿島神に祈願した。
三韓から無事に帰った2氏は鹿の峰に社を建てたのが当社とも。近海を航行する船は、帆を下げて敬意を表わしていたが、これを怠り、神罰を被る舟も多かったという。
旧渡良村の氏神、惣廟として崇敬された。明治の神社改制までは祠官2名、川瀬氏・三富氏を置いて奉仕された。寛文11年(1671年)3月造営時には「青波加大明神」とある。
江戸時代前期の延宝4年(1676年)、式社改めの際、橘三喜は当社を「国津神社」に査定した。それが現在に至るまで、社号として定着したようだ。
ただし、『式内社調査報告』では、国府に近い津神社ということで、津之宮神社を式内社「国津神社」と考えている。
当社の別名を「蓬宮」とも呼び(寛永17年(1640年))、蓬(よもぎ)は、壱岐の方言で「フツ」というため、「フツ宮」であり、布都神社。
そのため、『式内社調査報告』では当社を「物部布都神社」に比定している。
ただ、青波加大明神が武甕槌命であれば、経津主命を連想させる「フツ」とは微妙なずれがあるような気もする。
ともかく、当社は平戸藩主が一貫して崇敬した神社で、大祭に際しては神幸式、流鏑馬の神事が馬廻りの武士の代参のもと執行された、壱岐の神社十七社の一つ。
明治になり、村社に列し、明治40年7月には神饌幣帛料供進社に指定された。御祭神は、足名槌命・手名槌命、奇稲田姫命。武甕槌神を配祀する。
例祭は10月12日で例大祭で神幸・大神楽。6月29日には夏越祭が、11月03日が神迎祭で、大神楽。一の鳥居は明治期、二の鳥居は江戸期のもの。
境内社に天道社(素盞嗚尊)、地神(埴安命)、今社(三富源三郎)がある。境内北側には石庭があり、往古の磐座信仰の痕跡ともされている。
なお、式内社「国津神社」の論社には先の津之宮神社がある。式内社「物部布都神社」の論社は、天手長男神社に合祀されたものがある。
また、時に当社は「津神社」の論社ともされる。他の論社に、津神社と、やはり津之宮神社がある。
【ご利益】
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