神功皇后が祈願、平戸藩も受け継いだ「東風石」、江戸前期の石燈籠
[住所]長崎県壱岐市郷ノ浦町有安触997
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爾自神社(にじじんじゃ)は、長崎県壱岐市郷ノ浦町有安触にある神社。県道59号線から沼津小学校の近く、脇道に入る。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 壱岐国 石田郡「尓自神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。平安時代前期の弘仁2年(811年)創立とも。もとは「東風大明神」と呼ばれ、3メートルほどの巨石「東風石(こちいし)」を御神体とする。

神功皇后が三韓征伐の際、この石に祈願し、東風が吹き、無事、三韓へ渡ったという。その際、石が2つに割れた、とも言われ、現在も中央部にひびが入っている。

東風石は以前まで宝殿に収められていたとされるが、中世に今の位置に移動したとも。また、聖母神社の神領にあり、西の峰に鎮座したことから「にじ」の社号が定着したという。

江戸時代になり、朝鮮通信使の江戸までの生き帰りに、勝本浦に寄航し、平戸藩が接待するのが慣例となっていた。

その際、海上が時化て勝本浦での逗留が続くと、藩はその都度、壱岐城代に命じて、当社の東風石に順風祈願を行わせたことが記録されている。

300-500人という通信使一行の逗留が長引けば、接待をする藩の財政がひっ迫したため、神功皇后の故事に倣い、必死だったと伝わる。

祈願は、8人の神主による大神楽で行なわれ、折よく東風が吹くと、白銀や米などが送られた。

ともかく、当社は平戸藩主が一貫して崇敬した神社で、大祭に際しては神幸式、流鏑馬の神事が馬廻りの武士の代参のもと執行された、壱岐の神社十七社の一つ。

御祭神は、級長津彦命・級長戸辺神・息長帯姫命。風の神と、ゆかりの神功皇后。例祭は4月13日で、例大祭。

明治になり、村社に列し、明治45年(1912年)6月には神饌幣帛料供進社に指定された。大正5年(1915年)8月、周囲に鎮座していた下記の無格社を合祀した。

・大神宮神社(天照大神栲幡千々姫命天手力男命
・禰宜山神社(御食津神
・立石神社(石野姫命)
・神坂神社
・國片神社(少彦名命

社殿右の鳥居の先にある、玄武岩の東風石の大きさは、縦約3.9メートル、横約3.35メートル、高さ約3.7メートル、周囲約11.45メートル。付近だと、方位磁石が利かなくなる。

他に境内には2基の石燈籠がある。江戸時代前期の寛文11年(1671年)11月吉日の銘があり、寄進者は講中15人とある。

東風石とこの、お伊勢参りの道中、船旅の安全祈願をし、それが成就したので献納された石燈籠は、いずれも町指定有形民俗文化財になっている。

【ご利益】
海上・交通安全、五穀豊穣、安産
爾自神社 長崎県壱岐市郷ノ浦町有安触
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