雨戸明神から天戸明神、八坂社を合祀、式内・天椅立神社の論社
[住所]徳島県三好郡東みよし町昼間字上光明寺3751
[電話]-
天戸八坂神社(あまどやさかじんじゃ)は、徳島県三好郡東みよし町昼間にある神社。御朱印の有無は不明。
JR土岐線の線路が箸蔵駅と佃駅の間で大きく蛇行する地、県道12号線の撫養街道の近くに鎮座する。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 美馬郡「天椅立神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。
創祀年代や由緒は不詳。御祭神は高皇産霊神・豊磐間戸神・櫛磐間戸神。現在の社殿では、本殿の赤い屋根が特徴的。
当社の西に吉野川の支流が流れているが、小川谷の上流から、雨戸に乗って御祭神が流れ着いた。
そのため雨戸明神と呼ばれるようになり、後に天戸明神とも称された。天戸が定着したことが式内比定根拠になったようだ。
また、『阿波志』に「雨戸祠亦昼間村に在り、或は曰く延喜式に所謂天橋立神是也」と記載がある。
安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、兵火に遭い、その後は衰退していったというが、再建については7枚の棟札が現存している。
明治3年(1870年)、天戸神社に改称した。昭和21年(1946年)、八坂神社(素盞嗚神)を合祀して、現社号に改称した。
八坂神社については、年代は不明だが、「建立祇園牛頭天王宮……」の棟札が残っている。
鳥居扁額には、天戸神社・八阪神社と併称している。鳥居扁額では「八阪」だが、一般的に「八坂」の字が使われているようだ。
なお、式内社「天椅立神社」の論社は他に、当社から南東2キロほど後に式内同名神社がある。
【ご利益】
平穏安寧、厄災除け、病魔退散
【関連記事】
・徳島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、徳島県に鎮座している神社の一覧
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天戸八坂神社(あまどやさかじんじゃ)は、徳島県三好郡東みよし町昼間にある神社。御朱印の有無は不明。
JR土岐線の線路が箸蔵駅と佃駅の間で大きく蛇行する地、県道12号線の撫養街道の近くに鎮座する。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 美馬郡「天椅立神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。
創祀年代や由緒は不詳。御祭神は高皇産霊神・豊磐間戸神・櫛磐間戸神。現在の社殿では、本殿の赤い屋根が特徴的。
当社の西に吉野川の支流が流れているが、小川谷の上流から、雨戸に乗って御祭神が流れ着いた。
そのため雨戸明神と呼ばれるようになり、後に天戸明神とも称された。天戸が定着したことが式内比定根拠になったようだ。
また、『阿波志』に「雨戸祠亦昼間村に在り、或は曰く延喜式に所謂天橋立神是也」と記載がある。
安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、兵火に遭い、その後は衰退していったというが、再建については7枚の棟札が現存している。
明治3年(1870年)、天戸神社に改称した。昭和21年(1946年)、八坂神社(素盞嗚神)を合祀して、現社号に改称した。
八坂神社については、年代は不明だが、「建立祇園牛頭天王宮……」の棟札が残っている。
鳥居扁額には、天戸神社・八阪神社と併称している。鳥居扁額では「八阪」だが、一般的に「八坂」の字が使われているようだ。
なお、式内社「天椅立神社」の論社は他に、当社から南東2キロほど後に式内同名神社がある。
【ご利益】
平穏安寧、厄災除け、病魔退散
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