当地に移住してきた掃守氏が祖の<天忍人命を奉斎、村名も変更
掃守神社 兵庫県南あわじ市榎列掃守1064
[住所]兵庫県南あわじ市榎列掃守1064
[電話]0799-36-3984 - 八幡神社

掃守神社(かもりじんじゃ)は、兵庫県南あわじ市榎列掃守にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

創立年代は不詳。当地はもとは市川原と呼ばれた。昔、掃守氏が当地に来て居住し、小社を建て、祖神である天忍人命(あめのおしひとのみこと)を祀った。

それが当社で、その後、当社は当地の産土となり、守護神として崇敬されたため、村名も当社にちなむことになった。

『先代旧事本紀』には、天忍人命の曾祖父は饒速日命、祖父は天香語山命、父は天村雲命とある。

阿波国 麻殖郡の式内社に「天村雲神伊自波夜比売神社二座」があり、徳島県吉野川市山川町の村雲に論社がある。

以下は時代もあまり辻褄は合わないが、その後裔の話になるだろうか。

『新撰姓氏録』によれば、第21代雄略天皇は天忍人命に掃除の事を監したので掃守連の姓を与えた。

掃守氏は律令制国家以前に宮殿の掃除・鋪設に奉仕した伴造である。令制の掃部司・内掃部司・春宮坊主殿署の掃部や殿掃部は伴部である。

掃守・掃部は古くは「かむもり」と読むが、『古語拾遺』に天忍人命が初代神武天皇の父鵜草葦不合尊の誕生の際の海辺の産屋に供奉しカニをほうきではらったとある。

そこで、蟹守(かにもり)と号したともある。愛媛県伊予郡松前町徳丸に鎮座する高忍日賣神社に関連の伝承が残る。また、鳴門市大麻町板東牛ノ宮の宇志比古・宇志比売神社との関連も指摘される。

当社は江戸時代後期の天保6年(1835年)、社殿が再興された。明治6年(1873年)、村社に列した。例祭は3月10日。

【ご利益】
厄災除け、地域安全、一族・子孫繁栄
掃守神社 兵庫県南あわじ市榎列掃守
【関連記事】
兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧