淡路廃帝の淳仁天皇を追慕して海を渡って漂着した姫を祀る式内論社
室姫神社 徳島県阿南市新野町入田136
[住所]徳島県阿南市新野町入田136
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室姫神社(むろひめじんじゃ)は、徳島県阿南市新野町入田にある神社。JR牟岐線の新野駅から北西800メートルほど、岡山城という中世の城跡に鎮座する。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 那賀郡「室比売神社/室比賣神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では無格社。

御祭神は、いわゆる淡路廃帝、第47代淳仁天皇(在位:758年-764年)の御内室である「室妃」。

淳仁天皇は、天平宝字2年(758年)に孝謙天皇から譲位を受け践祚した。以降、藤原仲麻呂(恵美押勝)を重用する。

仲麻呂を皇室外では初の太政大臣に任じて間もなく、淳仁天皇は、孝謙天皇と仲麻呂とそれぞれの関係が悪化。

天平宝字8年(764年)9月、恵美押勝の乱が発生、淳仁天皇はこれには加担しなかったが、乱鎮圧後、孝謙天皇によって淡路島に流された。

「室妃」は、淳仁天皇を慕って小舟で淡路へ向かう途中、荒天のため阿波の東岸に漂着。当地に安住の地を求めて土地の人たちの親愛を受けた。

しかし心労を受けたためか、薨去。身重であった姫は、村人たちの親切を謝すとともに、世の人々の安産を願う旨を遺言に残したという。

村人は姫をねんごろに葬り、塚を設け、塔を建てて供養していたが、いつの頃からか室比賣神社として祀るようになった。

記録上、淳仁天皇の妃としては、粟田諸姉しかおらず、「室妃」の名をみえない。粟田諸姉のことか。

なお、粟田諸姉は仲麻呂の長男で故人の藤原真従の未亡人だったため、おそらく、恵美押勝の乱鎮圧後、消された可能性が高い。

淳仁天皇はその後、淡路でも影響力を拡大した、と伝わる。孝謙天皇は重祚して称徳天皇となり、それを弾圧した。

淳仁天皇は逃亡を図るが捕まり、翌日に亡くなった。公式には病死と伝えられているが、実際には殺害されたと推定される。

ただし、淳仁天皇を祀る神社は思いのほか少なく、代表的なものとしては京都市上京区の白峯神宮があるのみで、これも明治になってからの合祀。

当社に関する記録はほとんどなく、衰退していた一時期、近くの轟神社と置き換えられ、そのため、王子権現、王子大明神とも称されていた。

明治3年(1870年)、王子神社に改称、明治7年(1874年)には式内社に認定され、現社号に改称された。

当社の御祭神としての室姫(室比売・室比賣)は現在、木花開耶姫命と同一神として祀られているようだ。例祭は9月13日。

境内には、昭和63年(1988年)2月建立の岡崎型狛犬が安置され、社日が祀られている。

なお、式内社「室比賣神社」の論社は他に、海部郡海陽町相川の阿津神社がある。

【ご利益】
安産、諸願成就
室姫神社 徳島県阿南市新野町入田
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