山の神を鎮守として祀る古社、参道入口に見事な一対のシダレザクラ
[住所]長野県須坂市亀倉412
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亀倉神社(かめぐらじんじゃ)は、長野県須坂市亀倉にある神社。山神社とも呼ばれる。御朱印の有無は不明。

創立年月は不詳。亀倉の親郷の意味をもつ字本郷に創立され、米子川扇状地の、南斜面の字北原と西斜面の字雀崎・横馬場・新田などの集落を形成、発展してきた。

御祭神は山の神で、大山祇神。山の神を鎮守として祀るのは珍しいケースだという。山の神の延起は12であり、亀倉の山道を行くと「12」と呼ばれている地籍がある。

そのため、もとは当社もその地にあり、集落が平地に移るに従って現在地に移転したものと考えられている。住民が山からの恩恵を得て生活してきたことを物語るという。

4キロ奥の林道、米子不動線沿いに奥社(奥宮)が祀られている。以前は5月12日に祭祀が行われていたという。

現在の社地は昔、五塚と呼ばれた。ここにはかつて5基の古墳があり、その古墳の上に神社が祀られた。現在も境内には古墳群が残り、貴重な史跡である。

他に大物主命を祀る。例祭は10月12日で秋季大祭。境内社に、皇大神宮・秋葉大明神・義民の神が祀られている。

境内には「佐倉宗五郎碑」がある。佐倉宗五郎(佐倉惣五郎)は江戸時代、佐倉藩の名主で、領民の窮状を見かねて、上野寛永寺で第4代将軍徳川家綱に直訴した。

直訴の結果、訴えは聞き届けられ、佐倉藩の領民は救われた。しかし、惣五郎夫妻は磔となり、男子4人も死罪となった。

その後、堀田氏に災いが降りかかり、世間に「宗五郎怨霊」説が囁かれた。堀田氏は口の宮神社に宗五郎の霊を祭り、その怨霊を鎮めた。

参道入口の一対のシダレザクラは市の指定文化財で、その美しさで知られる。樹高はそれぞれ13メートルと12メートル。目通り幹囲は3.7メートルと2.8メートル。樹齢200年。

なお、当社は全国の亀倉姓のルーツの地ともされている。その昔、川中島の戦いの後、当地に住んだ與五左衛門は姓を長谷川から亀倉に変え、代々與五左衛門を名乗った。

その後、当地から新開地の越後、現在の新潟県燕市(旧 西蒲原郡吉田町)へ移ったという。ただし、現在当地には亀倉姓はいないという。

【ご利益】
地域安全、事業成功、産業振興、商売繁盛
亀倉神社 長野県須坂市亀倉
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