瀧宮と呼ばれた式内二社の論社、不思議な「毛」の伝承
武大神社 徳島県三好市井川町井内西1042
[住所]徳島県三好市井川町井内西1042
[電話]-

武大神社(たけおじんじゃ)は、徳島県三好市井川町井内西にある神社。JR辻駅のあたりから県道140号線を南下すること数キロ。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 美馬郡「田寸神社」「弥都波能賣神社/弥都波能売神社」に比定される式内社(いずれも小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。社前を井内谷川が流れる。通称は瀧宮、井内谷瀧宮とも呼ばれた。瀧(タキ)の名からか、式内社「田寸神社」の論社になっている。

戦国時代の大永2年(1522年)正月14日の旧記に「式内小社田寸神社」とあるという。

また、式内社「弥都波能売神社」の論社であるのは、その御祭神である罔象女神は、伊邪那美命迦具土神出産による火傷で死ぬ時にした尿。

尿に象徴される水の神で、瀧宮と呼ばれた当社に符合する。同時に出した糞に象徴される土の神は埴山姫命であり、式内社「波尓移麻比祢神社」のこと。

その論社である馬岡新田神社は当社の南200メートルほど。当社と、馬岡新田神社、そして馬岡新田神社境内にある八幡神社をあわせて、三社の森と呼ばれている。

『井内谷村誌』には、当社の神宝に関する下記の伝承が載っている。
瀧の宮の神宝は麻桶に入れたる只一筋の毛なり。神慮穏やかならざる時は数岐に烈けわれて延びはびこり、麻桶の蓋を突き上げて外に余ること夥し、神意静なれば毛一筋なり
永正12年(1515年)12月3日と永禄年間(1558年-1570年)の再建・造営の記録が残る。江戸時代には、「瀧宮牛頭天王」と称したという。

江戸時代前期の寛永元年(1624年)、慶安12年(1650年)、寛文6年(1666年)、元禄6年(1693年)にも造営された。

江戸時代中期の享保3年(1718年)、延享4年(1747年)、明和9年(1772年)、寛政11年(1799年)でも造営が行われた。

江戸時代後期の文政11年(1828年)、万延元年(1860年)にも造営記録がある。明治3年(1870年)、現社号に改称した。

御祭神は、主神が素盞嗚命。相殿に稲田姫命・八気蛇猛命を祀る。八気蛇猛命は不詳。八岐大蛇か。

式内社「田寸神社」の論社は他に、加茂の式内同名神社鴨神社、美馬市脇町の西照神社、中庄の金丸八幡神社がある。

また、式内社「弥都波能売神社」の論社は他に、脇町拝原の八大龍王神社、美馬町滝ノ宮の八坂神社、美馬市脇町猪尻の建神社がある。

なお、市内には三野町芝生に「天王はん」と通称される武大神社(ぶだいじんじゃ)という、当社と同字異音の神社があり、こちらの方が有名だが、別の神社である。

【ご利益】
健康長寿、五穀豊穣、夫婦和合
武大神社 徳島県三好市井川町井内西
【関連記事】
徳島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、徳島県に鎮座している神社の一覧