もとは丹生川八幡宮、境内に周敷神社の式内論社と2本の大クスノキ
[住所]愛媛県西条市円海寺172-1
[電話]0898-64-2447
保内八幡神社(ほうないはちまんじんじゃ)は、愛媛県西条市円海寺にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
創建年代は不詳だが、室町時代の応永年間(1394年-1427年)に河野六郎通文が当社を再建した記録があるという。
当初は丹生川八幡宮と称したが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1591年)、兵火に遭い、社叢ことごとく焼失した中に社祠のみは焼け残った。
そこで、世の人が火中(内)八幡宮(ほなかはちまんぐう)と称え、その後火の字を忌み、内を保ったという意味で、文禄元年(1592年)、「保内」の社号が定まった。
往時は保内八幡宮などとも称された。御祭神は、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・市杵島姫命・湍津姫命・田心姫命・武内宿祢。
境内左手に周敷神社がある。『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 桑村郡「周敷神社」に比定される式内社(小社)の論社。
周敷神社の御祭神は国常立命・火明命で、往時は蓮宮明神と呼ばれていたという。その他の論社に、周布の式内同名神社、国安の周敷神社・藤原神社合殿、宮ノ内の宮内神社がある。
当社の例祭は10月体育の日の前日と当日。屋台の奉納があり、本町・本友会・栄町からはだんじりが、喜多台旭からは子供太鼓台が出る。
愛媛県西条市で行われる秋祭りのうち、平成の大合併以前の旧東予市の旧壬生川町で行われる東予祭り(とうよまつり)の一つ。
当社由緒の戦国時代の兵火による焼失から数百年、当社境内には巨木が多くなっており、鎮守の森を形成しつつある。
その中でも特に目を引くのが、周敷神社の両脇の2本のクスノキ。おそらく天正期以降のものだろうが、目通り幹囲は5.5メートルと5.4メートル。
【ご利益】
火防、厄災除け、安産、家内安全

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・愛媛県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛媛県に鎮座している神社の一覧
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保内八幡神社(ほうないはちまんじんじゃ)は、愛媛県西条市円海寺にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
創建年代は不詳だが、室町時代の応永年間(1394年-1427年)に河野六郎通文が当社を再建した記録があるという。
当初は丹生川八幡宮と称したが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1591年)、兵火に遭い、社叢ことごとく焼失した中に社祠のみは焼け残った。
そこで、世の人が火中(内)八幡宮(ほなかはちまんぐう)と称え、その後火の字を忌み、内を保ったという意味で、文禄元年(1592年)、「保内」の社号が定まった。
往時は保内八幡宮などとも称された。御祭神は、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・市杵島姫命・湍津姫命・田心姫命・武内宿祢。
境内左手に周敷神社がある。『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 桑村郡「周敷神社」に比定される式内社(小社)の論社。
周敷神社の御祭神は国常立命・火明命で、往時は蓮宮明神と呼ばれていたという。その他の論社に、周布の式内同名神社、国安の周敷神社・藤原神社合殿、宮ノ内の宮内神社がある。
当社の例祭は10月体育の日の前日と当日。屋台の奉納があり、本町・本友会・栄町からはだんじりが、喜多台旭からは子供太鼓台が出る。
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当社由緒の戦国時代の兵火による焼失から数百年、当社境内には巨木が多くなっており、鎮守の森を形成しつつある。
その中でも特に目を引くのが、周敷神社の両脇の2本のクスノキ。おそらく天正期以降のものだろうが、目通り幹囲は5.5メートルと5.4メートル。
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