神武天皇の男水門の地、和歌山十日戎と「のし餅」の発祥、牛の舌餅
[住所]和歌山県和歌山市小野町2-1
[電話]073-422-7007
水門吹上神社(みなとふきあげじんじゃ)は、和歌山県和歌山市小野町にある神社。水門神社と吹上神社十いう二つの神社が合併したもの。参拝すれば、御朱印を頂ける。
水門神社は、社伝によれば、昔、紀水門の海上に、夜ごとに神光が顕われ、いつしか波に従って浜辺に打ち上げられたのを見ると、戎様の神像だったという。
そこで、湊村字和田濱鵜島に祠を建て、これを齋き祀っていたが、戦国時代の明応年間(1491年-1500年)に大海嘯が起こって砂に埋没した。
そこで、住民らが今の西河岸町字元恵美須に移し、さらに大永3年(1523年)6月23日、現在地に遷座した。
吹上神社は、『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 紀伊国 名草郡「伊達神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。
創祀年代は不詳。昔、吹上三本松、現在の植松町の南に鎮座していたが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1591年)、現在地に合祀した。
現在の鎮座地は、初代神武天皇が東征の際、兄の彦五瀬命が和泉で長髄彦の流失に当り、出血甚だしく、薨去したという旧跡である。
『古事記』『日本書紀』の「雄湊・雄水門/男水門」の地で、境内には、聖跡記念碑が立っている。ただし、雄水門については、大阪府泉南市男里の男神社の地である、とも。
江戸時代中期の寛保年間(1741年-1744年)、吹上神社は式内社「伊達神社」を主張し、和歌山藩がその主張を認めた。
他の論社に市内市園部に式内同名神社があり、その伊達神社は吹上神社の式内認定とともに薗部神社と改称したが、明治になり復称した。
吹上神社を合祀後、しばらくは相殿で奉斎されていたが、後に社殿を分け、二神並べて奉斎した。第二次世界大戦まで、水門神社・吹上神社と称していた。
戦災により社殿一切が焼失、戦後は同床共殿により奉斎し、現社号を称するようになった。現在、当社はあまり表面だって、式内主張はしていないようである。
水門神社は蛭兒神(戎様)、吹上神社は大己貴神(大国様)が御祭神で、2柱の福の神を祀る。境内社に、笠森稲荷神社がある。
当社は、紀州の十日戎祭発祥の社として知られ、正月9日、10日、11日の十日戎には、福を授かるべく、老若男女が参詣し、吉兆(福笹)を求めて帰る人であふれる。
また、現在では、よく知られている「のし飴」も当社が発祥のもので、これは紀州独特のもので、他では見られない。
例祭は9月18日。特殊神事として、牛の舌餅投げがある。毎年11月23日の新嘗祭に、牛の舌餅という畳1枚程ある「のし餅」が神饌として供される。
祭典終了後、参詣者に他の奉納された餅とともに投げ配られる。いつごろから始まったかは不明だが、牛祭りに投げたものといわれている。
【ご利益】
開運招福、商売繁盛、事業成功

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・和歌山県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、和歌山県に鎮座している神社の一覧
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水門吹上神社(みなとふきあげじんじゃ)は、和歌山県和歌山市小野町にある神社。水門神社と吹上神社十いう二つの神社が合併したもの。参拝すれば、御朱印を頂ける。
水門神社は、社伝によれば、昔、紀水門の海上に、夜ごとに神光が顕われ、いつしか波に従って浜辺に打ち上げられたのを見ると、戎様の神像だったという。
そこで、湊村字和田濱鵜島に祠を建て、これを齋き祀っていたが、戦国時代の明応年間(1491年-1500年)に大海嘯が起こって砂に埋没した。
そこで、住民らが今の西河岸町字元恵美須に移し、さらに大永3年(1523年)6月23日、現在地に遷座した。
吹上神社は、『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 紀伊国 名草郡「伊達神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。
創祀年代は不詳。昔、吹上三本松、現在の植松町の南に鎮座していたが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1591年)、現在地に合祀した。
現在の鎮座地は、初代神武天皇が東征の際、兄の彦五瀬命が和泉で長髄彦の流失に当り、出血甚だしく、薨去したという旧跡である。
『古事記』『日本書紀』の「雄湊・雄水門/男水門」の地で、境内には、聖跡記念碑が立っている。ただし、雄水門については、大阪府泉南市男里の男神社の地である、とも。
江戸時代中期の寛保年間(1741年-1744年)、吹上神社は式内社「伊達神社」を主張し、和歌山藩がその主張を認めた。
他の論社に市内市園部に式内同名神社があり、その伊達神社は吹上神社の式内認定とともに薗部神社と改称したが、明治になり復称した。
吹上神社を合祀後、しばらくは相殿で奉斎されていたが、後に社殿を分け、二神並べて奉斎した。第二次世界大戦まで、水門神社・吹上神社と称していた。
戦災により社殿一切が焼失、戦後は同床共殿により奉斎し、現社号を称するようになった。現在、当社はあまり表面だって、式内主張はしていないようである。
水門神社は蛭兒神(戎様)、吹上神社は大己貴神(大国様)が御祭神で、2柱の福の神を祀る。境内社に、笠森稲荷神社がある。
当社は、紀州の十日戎祭発祥の社として知られ、正月9日、10日、11日の十日戎には、福を授かるべく、老若男女が参詣し、吉兆(福笹)を求めて帰る人であふれる。
また、現在では、よく知られている「のし飴」も当社が発祥のもので、これは紀州独特のもので、他では見られない。
例祭は9月18日。特殊神事として、牛の舌餅投げがある。毎年11月23日の新嘗祭に、牛の舌餅という畳1枚程ある「のし餅」が神饌として供される。
祭典終了後、参詣者に他の奉納された餅とともに投げ配られる。いつごろから始まったかは不明だが、牛祭りに投げたものといわれている。
【ご利益】
開運招福、商売繁盛、事業成功

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