平安前期の勧請とも、前橋城の鬼門守護、歴代藩主の崇敬
[住所]群馬県前橋市富士見町横室55
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赤城神社(あかぎじんじゃ)は、群馬県前橋市富士見町横室にある神社。標高300メートル、国見ヶ岳とも呼ばれた十二山の頂上に鎮座する。石段は300段以上。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 上野国 勢多郡「赤城神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。『全国神社名鑑』によれば、平安時代前期の大同元年(806年)の勧請だという。
戦国時代、厩橋城と呼ばれた前橋城が築城されて以来、城の鬼門鎮護として長尾氏、平岩氏を始め、代々の城主の崇敬が篤かったという。
酒井雅楽頭忠世が城主の時、大洞の赤城神社とともに、祭日には奉幣を受けた。社殿の造営なども行われたという。御祭神は豊城入日子命。
明治6年(1873年)、郷社に列し、明治40年(1907年)7月16日、下記の境内末社と、無格社諏訪神社・字東澤口無格社諏訪神社、さらにそれぞれの境内社を合祀した。
明治40年合祀の境内社
・大山祇神社(大山津見神)
・八幡社(誉田別命)
・妙義社(経津主命)
・衣笠社(保食命)
・八坂神社(須佐之男命)
・稲荷社(保食命)
・神明社(大日孁命)
・稲荷神社(保食命)
・稲荷神社(保食命)
・稲荷神社(保食命)
このうち、神明社は、明治10年(1877年)7月、字下庄司原372番地から遷座したもの。
以上の他、建御名方命・木花開耶姫命・龍田姫命・大己貴命・市杵島姫命・奥津彦命・奥津姫命・火結命も併せて祀る。
大正4年(1915年)11月5日、神饌幣帛料供進社に指定された。
境内社に、琴平社(金山彦神)、秋葉社(迦具土命)、御嶽社(日本武命)、三峯社(凡河内躬恒)、雷電社(大雷命)、天神社(菅原道真公)、愛宕社(火産霊命)がある。
一の鳥居は、江戸時代中期の寛延2年(1749年)造立。石段の途中、参道左手側に道祖神と青面金剛、その他石祠などが祀られ、さらに少し上には猿田毘古大神と大黒天。
二の鳥居前の広くなった参道の脇には十基の石祠がある。昭和12年(1937年)12月造立の狛犬があり、「天真一産霊大神」と刻まれた石塔などがある。
山の中腹には県内でも珍らしい1000基の庚申塔が点在する。また、当社と十二山は、「富士見かるためぐり」の19番、「つ」として、「つつじは赤城と十二山」とある。
6月中旬、山肌を紅に染める推定10万株といわれる赤城山新坂平のれんげつつじが有名だが、横室の十二山もつつじの名所。以前は5月の開花時に、つつじ祭が開催されていた。
なお、式内社「赤城神社」の論社は他に、先の富士見町赤城山と、三夜沢町に当社および式内同名神社があり、二之宮町には二宮赤城神社がある。
【ご利益】
身体壮健、リフレッシュ、家内安全、地域安全
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赤城神社(あかぎじんじゃ)は、群馬県前橋市富士見町横室にある神社。標高300メートル、国見ヶ岳とも呼ばれた十二山の頂上に鎮座する。石段は300段以上。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 上野国 勢多郡「赤城神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。『全国神社名鑑』によれば、平安時代前期の大同元年(806年)の勧請だという。
戦国時代、厩橋城と呼ばれた前橋城が築城されて以来、城の鬼門鎮護として長尾氏、平岩氏を始め、代々の城主の崇敬が篤かったという。
酒井雅楽頭忠世が城主の時、大洞の赤城神社とともに、祭日には奉幣を受けた。社殿の造営なども行われたという。御祭神は豊城入日子命。
明治6年(1873年)、郷社に列し、明治40年(1907年)7月16日、下記の境内末社と、無格社諏訪神社・字東澤口無格社諏訪神社、さらにそれぞれの境内社を合祀した。
明治40年合祀の境内社
・大山祇神社(大山津見神)
・八幡社(誉田別命)
・妙義社(経津主命)
・衣笠社(保食命)
・八坂神社(須佐之男命)
・稲荷社(保食命)
・神明社(大日孁命)
・稲荷神社(保食命)
・稲荷神社(保食命)
・稲荷神社(保食命)
このうち、神明社は、明治10年(1877年)7月、字下庄司原372番地から遷座したもの。
以上の他、建御名方命・木花開耶姫命・龍田姫命・大己貴命・市杵島姫命・奥津彦命・奥津姫命・火結命も併せて祀る。
大正4年(1915年)11月5日、神饌幣帛料供進社に指定された。
境内社に、琴平社(金山彦神)、秋葉社(迦具土命)、御嶽社(日本武命)、三峯社(凡河内躬恒)、雷電社(大雷命)、天神社(菅原道真公)、愛宕社(火産霊命)がある。
一の鳥居は、江戸時代中期の寛延2年(1749年)造立。石段の途中、参道左手側に道祖神と青面金剛、その他石祠などが祀られ、さらに少し上には猿田毘古大神と大黒天。
二の鳥居前の広くなった参道の脇には十基の石祠がある。昭和12年(1937年)12月造立の狛犬があり、「天真一産霊大神」と刻まれた石塔などがある。
山の中腹には県内でも珍らしい1000基の庚申塔が点在する。また、当社と十二山は、「富士見かるためぐり」の19番、「つ」として、「つつじは赤城と十二山」とある。
6月中旬、山肌を紅に染める推定10万株といわれる赤城山新坂平のれんげつつじが有名だが、横室の十二山もつつじの名所。以前は5月の開花時に、つつじ祭が開催されていた。
なお、式内社「赤城神社」の論社は他に、先の富士見町赤城山と、三夜沢町に当社および式内同名神社があり、二之宮町には二宮赤城神社がある。
【ご利益】
身体壮健、リフレッシュ、家内安全、地域安全
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