江戸前期に「発見」、町民による運営、2020年には「葺城の森」に
[住所]東京都港区虎ノ門4-1-3
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葺城稲荷神社(ふきしりなりじんじゃ)は、東京都港区虎ノ門にある神社。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。一説に、江戸時代前期の天和3年(1683年)正月、円成寺五世住職が倉稲魂命を奉じ建立したもので、妻恋稲荷と称したという。

葺手町はもとは現在の内幸町にあり、江戸城と街造りの屋根職人が集まった町だった。元禄4年(1691年)、江戸城の拡張と整備のため、現在地周辺に代地替えを命じられた。

その際、移住した町民が、松平右近将監の大名屋敷外に当社を「発見」したという。以降、当社を町の氏神として奉斎し、町民による管理・運営が行われてきた。

江戸時代後期の文政年間(1818年-1830年)に徳川幕府が各町の名主に命じて町の由来・現状などを提出させた『江戸町方書上』にも記載されている。

それによれば、「もっとも、城山稲荷と相唱え(後に葺城稲荷神社に改名)右本社・拝殿などの修復・新規とも町内持ちに御座候」とある。

御祭神は宇迦之御魂神・須佐之男神大市比売。もとからこうなのか、合祀があったのかは不詳だが、父母娘の3柱。

当社では、大市比売を流通の神として位置付けている。なお、副祭神として、佐田彦大神大宮能売大神を祀る。

明治5年(1872年)、城山町と巴町が新たに町として制定され、当社の氏子となった。大正12年(1923年)9月1日の関東大震災では災厄を免れ、当社は焼失せずに残った。

現在地よりやや丘の上の方に位置していたが、昭和3年(1928年)12月、現在地に鎮座した。

昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲では、港区一帯は壊滅的な被害を受けたが、当社や氏子の葺手町、城山町、巴町は焼失せずに災厄を免れた。

戦後は町の人々たちの憩いの場として、年に2回、4月と11月に大祭が行われ、神楽や芝居などが行われてきた。2月初旬には初午祭も行われた。

現在はオフィス街のオアシスとして存在し、人々の幸せと生活の安定を願いつつ見守っている。平成になり、都市再開発の対象地となったため、西久保八幡神社の稲荷大明神に仮遷座した。

2020年春には、「虎ノ門トラストシティ ワールドゲート」の「葺城の森(仮称)」に再構築される予定だという。

現在の境内には由緒不明の砲弾が安置されている。原形をとどめてない、ボロボロになった狛犬があり、観音像の石像なども祀られている。

「葺城の森」になれば、相当整備されるようで、樹齢 100 年超といわれる「大クスノキ」を街区のシンボルとして坂の上に移植・配置もされる予定だという。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、産業振興、事業成功、厄災除け、家内円満
葺城稲荷神社 東京都港区虎ノ門
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