鎌倉期創立、式内論社・高龗神社に遷座、銀交易の天領地の総社
亀山八幡宮 広島県府中市上下町上下309-4
[住所]広島県府中市上下町上下309-4
[電話]-

亀山八幡神社(かめやまはちまんじんじゃ)は、広島県府中市上下町上下にある神社。近代社格では郷社。亀山八幡宮、上下亀山八幡神社とも。御朱印の有無は不明。

国道432号が県道25号線に交わる上下の交差点、近くには上下北小学校がある。

鎌倉時代末期の正和年間(1312年-1316年)、丹下城主である斉藤美作守が相模国の鶴岡八幡宮を城内に勧請したのが起源。

正中2年(1325年)、往古より当地の亀山(上山)に鎮座する高龗神社に遷座した。また、同年、本郷大宮八幡宮の御分霊も併せて合祀した。

この高龗神社が『延喜式』巻9・10神名帳山陽道神 備後国 甲奴郡「意加美神社」に比定される式内社(小社)の論社。

『万葉集』に、柿本人麻呂が石見国と大和国との往還の途次詠んだとされる下記の歌は、高龗神社の紅葉を称賛したもの、ともされる。異説もある。
妻籠る 矢野の神山 露霜に 匂ひそめたり 散らまく惜しも
なお、式内社「意加美神社」の論社は他に、庄原市総領町の稲草五箇にそれぞれ、式内同名神社がある。

江戸時代前期の元禄13年(1700年)、当地は天領地となり、代官出張所が置かれ、石見大森銀山で採掘された銀の中継地として、宿場町になった。

やがて、幕府役人の力を背景に、金融業が勃興、「上下銀」と呼ばれる莫大な富を生み、興隆を極めた。

当社も、甲奴・神石・安那の三郡天領地の総社として崇敬されるようになり、石灯籠・唐獅子などの石造物が今にその名残を伝える。

明治27年(1894年)、火災により、神殿が焼失した。明治42年(1909年)には宇佐八幡宮の神璽を奉戴した。昭和3年(1928年)、郷社に昇格した。

御祭神は品陀和気命(応神天皇)・帯長津日子命(仲哀天皇)・息長帯売命(神功皇后)・高龗神須佐之男命

例祭は9月秋分の日。7月最終日曜日には夏季大祭がある。末社13社。祖霊社(3月春分の日が春祭)の規模の雄大さは県下でも有数だという。

【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、安産、家内安全
亀山八幡宮 広島県府中市上下町上下
【関連記事】
広島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、広島県に鎮座している神社の一覧