平安以来の造立記録、平成に水没集落の神社移転・再建工事
[住所]広島県庄原市総領町稲草179
[電話]-
意加美神社(いかみじんじゃ)は、広島県庄原市総領町稲草にある神社。国道432号線から、県道78号線に西進して間もなく、78号線沿いに鎮座する。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 甲奴郡「意加美神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。もとは木屋村イガミ谷の地に鎮座した。平安時代の長久3年(1042年)の本殿の重修造立の記録が残る。
さらに、鎌倉時代の承久4年(1222年)、弘安3年(1280年)、南北朝時代の応安元年(1368年)、戦国時代の大永4年(1524年)に社殿造営が行われた。
御祭神は高龗神。『西備名区』甲奴郡稲草村の項に「産社 意加美神社 里俗、オガミ大明神と称す」とある。
江戸時代にはまた、意加美吉備津彦神社とも呼ばれ、吉備津彦命も合祀していたという。古来より祈雨、止雨の神として崇められ、郡内はもとより周辺地域からも広く信仰された。
いずれかの時期に、彦ノ宮と呼ばれる現在地に遷座した。明治4年(1871年)、現社号に改称して、郷社に列した。
平成9年(1997年)から平成10(1998年)、ダム建設により水没する集落の神社が統合された。当社はその中の一社。
これにより、他に、大歳神社(大年神)、姫宮神社(木花之佐久夜毘売命)、金刀比羅神社(大物主神)を合祀している。
この統合は、集落に散在する小祠も含まれ、修復保存、再生保存、新築などの工事が含まれた総合的なプロジェクトだった。
鳥居、灯籠、注連柱、神籠石、石碑、水盤など、各社にゆかりのものは、ほとんど新境内に移転、各社の摂末社、集落各地の小祠は、損傷が激しかったために新造した。
現在、境内社に五社神社・荒神社がある。当社の例祭は9月15日。
なお、式内社「意加美神社」の論社は他に、五箇の当社および式内同名神社と、府中市上下町の亀山八幡神社がある。
【ご利益】
祈雨、五穀豊穣、事業成功、武運長久・勝運

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意加美神社(いかみじんじゃ)は、広島県庄原市総領町稲草にある神社。国道432号線から、県道78号線に西進して間もなく、78号線沿いに鎮座する。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 甲奴郡「意加美神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。もとは木屋村イガミ谷の地に鎮座した。平安時代の長久3年(1042年)の本殿の重修造立の記録が残る。
さらに、鎌倉時代の承久4年(1222年)、弘安3年(1280年)、南北朝時代の応安元年(1368年)、戦国時代の大永4年(1524年)に社殿造営が行われた。
御祭神は高龗神。『西備名区』甲奴郡稲草村の項に「産社 意加美神社 里俗、オガミ大明神と称す」とある。
江戸時代にはまた、意加美吉備津彦神社とも呼ばれ、吉備津彦命も合祀していたという。古来より祈雨、止雨の神として崇められ、郡内はもとより周辺地域からも広く信仰された。
いずれかの時期に、彦ノ宮と呼ばれる現在地に遷座した。明治4年(1871年)、現社号に改称して、郷社に列した。
平成9年(1997年)から平成10(1998年)、ダム建設により水没する集落の神社が統合された。当社はその中の一社。
これにより、他に、大歳神社(大年神)、姫宮神社(木花之佐久夜毘売命)、金刀比羅神社(大物主神)を合祀している。
この統合は、集落に散在する小祠も含まれ、修復保存、再生保存、新築などの工事が含まれた総合的なプロジェクトだった。
鳥居、灯籠、注連柱、神籠石、石碑、水盤など、各社にゆかりのものは、ほとんど新境内に移転、各社の摂末社、集落各地の小祠は、損傷が激しかったために新造した。
現在、境内社に五社神社・荒神社がある。当社の例祭は9月15日。
なお、式内社「意加美神社」の論社は他に、五箇の当社および式内同名神社と、府中市上下町の亀山八幡神社がある。
【ご利益】
祈雨、五穀豊穣、事業成功、武運長久・勝運

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