平安初期の奉斎が起源、もとは爾比都売神社、比婆荒神神楽の奉納
[住所]広島県庄原市東城町小奴可1095
[電話]08477-3-2007

奴可神社(ぬかじんじゃ)は、広島県庄原市東城町小奴可にある神社。芸備線の小奴可駅の北、芸備線の線路が大きく蛇行する、国道314号線の近く。バス停がある。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳山陽道神 備後国 奴可郡「迩比都売神社」に比定される式内社(小社)の論社。

平安時代初期、第52代嵯峨天皇の御代の弘仁3年(812年)、この地を拓いた大船葦治麿が亀山の麓に奉斎したのが起源。

往古は爾比都売神社(迩比都売神社)と称した。丹生山、つまり朱砂の産出地であり、たたら製鉄とも関係が深かったという。

室町時代の大永5年(1525年)、宮高盛の臣で、亀割城主である鳥羽七良右衛門尉政家が社殿を改築し、社号を妙見宮と称え、篤く信仰したという。

古くは小奴可・三坂・小鳥原・油木の5ヶ村の大氏神として尊崇を受けた。明治元年(1868年)、太政官達により現社号に改称した。

当社の御祭神は、天照大御神国之常立命月読命。相殿に猿田昆古神を祀る。

明治42年(1909年)には八幡神社(品陀和気命帯仲日小命息長帯比売命)・吉備津神社(大吉備津日子命)を、大正元年(1912年)には天満宮(菅原道真命)を合併した。

大正3年(1914年)、現社殿を建立、大正4年(1915年)4月25日には妙見より西の宮の現在地に遷座した。

当社では、県内で唯一、国の重要無形民俗文化財に指定されている「比婆荒神神楽」という神事が行われる。

七座・神主による神事舞・国譲りの能・八重垣の能・荒神の能・神送り神事など、当日は夕方の17時から翌朝の5時頃まで、一晩中行われる。

なお、式内社「迩比都売神社」の論社は他に、西城町西城の爾比都売神社と、その旧地だと考えられる東城町久代の高野八幡神社がある。

【ご利益】
開運招福、産業振興、事業成功、病魔退散、無病息災
奴可神社 広島県庄原市東城町小奴可
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