平安期に宇佐を勧請、南北朝期に式内・多理比理神社を合祀
[住所]広島県福山市駅家町大字上山守1183
[電話]-
當島八幡神社(とうしまはちまんじんじゃ)は、広島県福山市駅家町上山守にある神社。御朱印の有無は不明。
単に八幡神社とも、当島八幡神社・当島八幡宮とも。芦田川南岸、県道396号線沿い、山守橋南詰の交差点近く。
『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 品治郡「多理比理神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、平安時代前期の大同2年(807年)、豊後の国の宇佐八幡宮の御分霊を勧請して祀られたと伝えられる。
一方で、『水野記』によれば、奈良時代の天平勝宝元年(749年)、神宮寺とともに建立。南北朝時代初期の延元元年(1336年)、山守惣宮大夫が持山谷山に移転したという。
上下山守・今岡・大橋・近田・戸手・向永谷・・新山・中島・倉光・江良・坊寺など12ヶ村の惣産社として崇敬された。
相殿に祀られる多理比理神で、多比理岐志麻流美神のことだという。大国主神の五世孫。多理比理神社は、建武年間(1334年-1336年)まで、字小丸神山に鎮座していた。
社殿の大破にともない、延元元年、当社に合祀されたという。他の説では、当社こそが多理比理神社であるとも、あるいは、多理比理神社の鎮座地に、当社が遷座したとも。
境内入口の広場に、「式内多理比理神社」と刻まれた社号標がある。明治27年(1894年)9月に氏子中が建立したもの。
明治5年(1872年)11月、村社に列し、明治21年(1888年)10月には郷社に昇格した。
御祭神は、三女神・誉田別神・足仲彦神・息長足姫神・高皇産霊神・神皇産霊神・天御中主神・大山祇神・大己貴神・少彦那神・豊玉姫神・思兼神・大年神。
相殿に多理比理神(多理比理神社)。ただし、境内案内では、御祭神として、誉田別神(応神天皇)・足仲彦神(仲哀天皇)・息長足姫神(神功皇后)のみを挙げる。
境内社に三神神社がある。『広島県神社誌』には、三社神社とある。境内には径140ミリ、長500ミリの砲弾が安置されている。
なお、式内社「多理比理神社」の論社は他に、駅家町服部本郷、神子原の荒神社と、吉備津神社がある。
【ご利益】
厄災除け、安産、地域安全

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當島八幡神社(とうしまはちまんじんじゃ)は、広島県福山市駅家町上山守にある神社。御朱印の有無は不明。
単に八幡神社とも、当島八幡神社・当島八幡宮とも。芦田川南岸、県道396号線沿い、山守橋南詰の交差点近く。
『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 品治郡「多理比理神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、平安時代前期の大同2年(807年)、豊後の国の宇佐八幡宮の御分霊を勧請して祀られたと伝えられる。
一方で、『水野記』によれば、奈良時代の天平勝宝元年(749年)、神宮寺とともに建立。南北朝時代初期の延元元年(1336年)、山守惣宮大夫が持山谷山に移転したという。
上下山守・今岡・大橋・近田・戸手・向永谷・・新山・中島・倉光・江良・坊寺など12ヶ村の惣産社として崇敬された。
相殿に祀られる多理比理神で、多比理岐志麻流美神のことだという。大国主神の五世孫。多理比理神社は、建武年間(1334年-1336年)まで、字小丸神山に鎮座していた。
社殿の大破にともない、延元元年、当社に合祀されたという。他の説では、当社こそが多理比理神社であるとも、あるいは、多理比理神社の鎮座地に、当社が遷座したとも。
境内入口の広場に、「式内多理比理神社」と刻まれた社号標がある。明治27年(1894年)9月に氏子中が建立したもの。
明治5年(1872年)11月、村社に列し、明治21年(1888年)10月には郷社に昇格した。
御祭神は、三女神・誉田別神・足仲彦神・息長足姫神・高皇産霊神・神皇産霊神・天御中主神・大山祇神・大己貴神・少彦那神・豊玉姫神・思兼神・大年神。
相殿に多理比理神(多理比理神社)。ただし、境内案内では、御祭神として、誉田別神(応神天皇)・足仲彦神(仲哀天皇)・息長足姫神(神功皇后)のみを挙げる。
境内社に三神神社がある。『広島県神社誌』には、三社神社とある。境内には径140ミリ、長500ミリの砲弾が安置されている。
なお、式内社「多理比理神社」の論社は他に、駅家町服部本郷、神子原の荒神社と、吉備津神社がある。
【ご利益】
厄災除け、安産、地域安全

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