式内・国高依彦神社を相殿に祀る龍神、福山藩主の崇敬
[住所]広島県福山市新市町大字藤尾
[電話]-
高靇神社(たかおがみじんじゃ/たかおかみじんじゃ)は、広島県福山市新市町藤尾にある神社。県道400号線に近い。地図上では、龍神社と表記されている場合もある。御朱印の有無は不明。
旧芦品郡藤尾村、大字藤尾字父尾。『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 葦田郡「国高依彦神社/國高依彦神社」に比定される式内社(小社)の論社。
創祀年代は不詳。社伝によれば、平安時代初期の延暦18年(799年)3月、本村の月入の森白瀧の上に初めて宮殿を建立したという。
その際は、龍神(豊玉姫命)及び国高依彦神を奉祀した。その後、大同元年(806年)、大風があり、翌大同2年(807年)4月、宮殿を辰巳に向けて建て替えた。
弘仁5年(814年)6月24日、弘法大師空海がこの地に詣でて、一ノ降の滝にて7日間雨乞いを行い、天下に霊雨があった。
よって、龍神の御串八方向きに作り、八大龍王と称したという。当社は、靇神社、龍王社、八代龍王社とも呼ばれ、境外に御滝を祀っている。
もう2キロほど進むと、地元では名滝として知られる「藤尾の滝」があり、一降に罔象女神、二降に豊玉姫命、三降に長津彦命(志那津比古神・志那津比売神)が祀られている。
地元では、吉備地方を平定した吉備津彦命がこの地を訪れ、この滝の神々に会ってこれを鎮め祀ったという伝承がある。雨乞いの神事は、近年も行われている。
江戸時代後期の『西備名区』巻53には「八大龍王神社」と記載されている。蛇が滝つぼに浮けば必ず雨、鱈魚がいたら雨は降らない、とされたらしい。
相殿に祀られる国高依彦神社の御祭神は高魂命。本来は国高依彦神だと考えられる。鎌倉時代の文永3年(1268年)8月、当所市町に社殿を造営して分祀した。
その際は市町大明神と称したが、室町時代の寛正2年(1462年)3月12日、火災により焼失したため、御神体を当社に戻した。
江戸時代になり、元禄7年(1694年)、水野日向守が随神門を建立し、元禄14年(1701年)には拝殿が再建された。歴代福山藩主から相当の崇敬を受けた。
ただし、元禄7年は第4代水野勝種の時代で、勝種は美作守。第3代勝貞は日向守だが寛文2年(1662年)に死去している。
『福山志料』によれば、国高依彦神は国常立尊であり、市内芦田町上有地に鎮座する国司神社が式内社「国高依彦神社」だと否定した。
しかし、皇學館大学が編纂した『式内社調査報告』では、国司神社は過去に一度も国高依彦神社と称されたことがないとして、この説を否定している。
現在までに、当社の御祭神は、高龗神。相殿に国高依彦神社の御祭神である高魂命と、月夜見命・猿田彦命・松浦明神を祀る。
道沿いに「白滝の名水」という水汲み場がある。柔らかく美味しい湧き水。
【ご利益】
祈雨・天候、五穀豊穣、身体壮健、健康長寿

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・広島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、広島県に鎮座している神社の一覧
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高靇神社(たかおがみじんじゃ/たかおかみじんじゃ)は、広島県福山市新市町藤尾にある神社。県道400号線に近い。地図上では、龍神社と表記されている場合もある。御朱印の有無は不明。
旧芦品郡藤尾村、大字藤尾字父尾。『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 葦田郡「国高依彦神社/國高依彦神社」に比定される式内社(小社)の論社。
創祀年代は不詳。社伝によれば、平安時代初期の延暦18年(799年)3月、本村の月入の森白瀧の上に初めて宮殿を建立したという。
その際は、龍神(豊玉姫命)及び国高依彦神を奉祀した。その後、大同元年(806年)、大風があり、翌大同2年(807年)4月、宮殿を辰巳に向けて建て替えた。
弘仁5年(814年)6月24日、弘法大師空海がこの地に詣でて、一ノ降の滝にて7日間雨乞いを行い、天下に霊雨があった。
よって、龍神の御串八方向きに作り、八大龍王と称したという。当社は、靇神社、龍王社、八代龍王社とも呼ばれ、境外に御滝を祀っている。
もう2キロほど進むと、地元では名滝として知られる「藤尾の滝」があり、一降に罔象女神、二降に豊玉姫命、三降に長津彦命(志那津比古神・志那津比売神)が祀られている。
地元では、吉備地方を平定した吉備津彦命がこの地を訪れ、この滝の神々に会ってこれを鎮め祀ったという伝承がある。雨乞いの神事は、近年も行われている。
江戸時代後期の『西備名区』巻53には「八大龍王神社」と記載されている。蛇が滝つぼに浮けば必ず雨、鱈魚がいたら雨は降らない、とされたらしい。
相殿に祀られる国高依彦神社の御祭神は高魂命。本来は国高依彦神だと考えられる。鎌倉時代の文永3年(1268年)8月、当所市町に社殿を造営して分祀した。
その際は市町大明神と称したが、室町時代の寛正2年(1462年)3月12日、火災により焼失したため、御神体を当社に戻した。
江戸時代になり、元禄7年(1694年)、水野日向守が随神門を建立し、元禄14年(1701年)には拝殿が再建された。歴代福山藩主から相当の崇敬を受けた。
ただし、元禄7年は第4代水野勝種の時代で、勝種は美作守。第3代勝貞は日向守だが寛文2年(1662年)に死去している。
『福山志料』によれば、国高依彦神は国常立尊であり、市内芦田町上有地に鎮座する国司神社が式内社「国高依彦神社」だと否定した。
しかし、皇學館大学が編纂した『式内社調査報告』では、国司神社は過去に一度も国高依彦神社と称されたことがないとして、この説を否定している。
現在までに、当社の御祭神は、高龗神。相殿に国高依彦神社の御祭神である高魂命と、月夜見命・猿田彦命・松浦明神を祀る。
道沿いに「白滝の名水」という水汲み場がある。柔らかく美味しい湧き水。
【ご利益】
祈雨・天候、五穀豊穣、身体壮健、健康長寿

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