当地開拓の世良彦命が奉斎、男山八幡勧請に関連、平安後期の額
世良八幡神社 広島県世羅郡世羅町小世良328
[住所]広島県世羅郡世羅町小世良328
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世良八幡神社(せらはちまんじんじゃ)は、広島県世羅郡世羅町小世良にある神社。国道184号線沿い、世良会館の近く。境内は西向き。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳山陽道神 備後国 世羅郡「和理比売神社」に比定される式内社(小社)の参考社。

創建年代は不詳。一説によれば、上古、世良比子(世良彦)が世羅郡を拓いた時、天照皇大神天児屋根命玉依比売命を祀ったのが当社の起源。

世良彦命は、第7代孝霊天皇の皇子五十狭芹彦命若建彦命が吉備の地を征定した時、その部下として世良郡の郷土執政役郡司として地方開拓の任にあたった。

『日本三代実録』には、世羅郡を世良郡と記されており、また地方を郡元(こうりもと)と呼ぶとも伝わり、この地方を世良彦命が開拓・創業したことにちなむ、とも。

小世良(おせら)は世良彦命に対する敬語である御世良が転じたものだという。当社境内の裏山に、世良彦命のものと伝えられる古墳があるという。

平安時代前期の貞観元年(859年)、豊前国宇佐八幡宮から山城国男山へ、八幡神を勧請する際、当社の世良巫某が豊田郡沼田本郷まで、出迎えたという。

その縁故により、世良彦社とも呼ばれた当社へも八幡神を勧請し、以後、世良彦八幡宮・世良巫八幡宮とも称されるようになった。

そして、小世良・甲山・西上原・本郷・井折・寺町・堀越・京丸の大田庄8ヶ村の氏神となった。

後、寺町へ八幡神を分祀したため、当社を本宮と呼び、寺町八幡宮を別宮と呼ぶ。その寺町八幡宮が、式内社「和理比売神社」に比定される和理比賣神社の旧地である。

現存する当社の宝物の「宮内額」に、当郡宗社とあり、裏に平安時代後期の大治年間(1126年-1131年)とある。

世羅郡の郡司も代々当社を当郡の宗社として崇敬し、郡民もこれにならって尊敬したことを物語るものとされる。

その後、武門の崇敬が厚く、明応9年(1500年)、鳶が丸城などを拠点とし、備後守護の山名是豊の家臣である下見加賀守が宮殿を改築した。

また、永正13年(1516年)には沼井筑後守右衛門大夫が、弘治4年(1558年)には毛利元祐が、屋根の葺き替えを行った。

江戸時代にも社殿の修復などがなされた棟札が残っている。三間社流造の本殿に幣殿が接続され三間社入母屋造の拝殿が建つ。拝殿は前方の1間分は吹き放たれた外陣形式。

同じ備後でも福山藩は吹き放ちの外陣形式を採用しておらず、福山では珍しいが、芸備地方、特に毛利の力が及んだ地域にはこの建築様式が非常に多い。いわゆる芸備造。

御祭神は、天照皇大神・誉田別尊・玉依比売命・天児屋根命・世良彦命・市寸島比売命大山祇命高靇命菅原道真命。例祭は11月1日。8月16日に夏季大祭がある。

【ご利益】
厄災除け、開運招福、事業成功、交通安全
世良八幡神社 広島県世羅郡世羅町小世良
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