郡内最大の横穴式石室を持つ康徳寺古墳、式内旧地とも
八幡神社 広島県世羅郡世羅町寺町1378
[住所]広島県世羅郡世羅町寺町1378
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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、広島県世羅郡世羅町寺町にある神社。村社八幡神社、寺町八幡神社とも。国道432号線の世羅バイパス西口の交差点を北上。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳山陽道神 備後国 世羅郡「和理比売神社」に比定される式内社(小社)の参考社。近代社格では村社。

創建年代は不詳。一説に、備後大夫和気清信と仲務静姫が創建したとも。また、和理比賣神社の旧地であるともされる。

当社西隣には、白鳳期の廃康徳寺跡があり、その寺院と関係があったと思われる豪族の墳墓や、県の史跡に指定されている、郡内最大の横穴式石室を持つ康徳寺古墳がある。

康徳寺古墳は、世羅盆地の北西寄りの丘陵斜面に位置する。直径約17メートル、高さ約5メートルの円墳。

石室は全長9.5メートル、高さ2.4メートルで、玄室は長さ5.9メートル、中央幅2.5メートル、高さ(奥壁部)3.2メートル、羨道は長さ2.4メートル、幅1.8メートル。

石室の構造などから6世紀末頃のものと推定され、須恵器・土師器・耳環のほか中世の土師質土器・瓦器・土鍋などや、仏具や泥塔、墨書礫などが出土した。

これらの祭祀と関係があったとみられる和理比賣神社は鎌倉時代に遷座したとも。和理比賣神社は式内社「和理比売神社」に比定されているため、当社は式内旧地となる。

また、当社は小世良の八幡神社を勧請したともされる。そのため、世良八幡神社は本宮、当社は別宮と呼ばれた。この世良八幡神社も式内社「和理比売神社」の参考社とされる。

室町時代の応永2年(1395年)3月3日、社殿が焼失し、応永31年(1424年)に再建された。往時、寺町には三つの八幡宮があったといい、当社はその一社。

現在は、その中の一社は新京の天神社が合祀しており、現在、寺町には二つの八幡宮がある。

当社は、大田庄8ヶ村の奉斎する社といい、大田庄16ヶ村の産神本宮とも称して、本郷・井折・寺町・堀越・京丸・甲山・西上原・小世良の惣産神本宮ともいう。

御祭神は、品陀和気命帯中津彦命息長帯比売命・櫛名比売命・多岐理比売命多岐津比売命伊邪那岐命伊邪那美命狭依理比売命猿田彦命

相殿に、武内宿禰大山津見命高龗神波邇夜須比売命波邇夜須彦神菅原道真公・宇迦之御魂神宇気母智神金山彦神金山比売神を祀る。

櫛名比売命は、和理比賣神社の櫛名毘賣神と同一神か。和理比賣神社では、櫛名毘賣神を伊邪那美命、あるいは奇稲田姫命としている。

【ご利益】
厄災除け、安産、家内安全、地域安全
八幡神社 広島県世羅郡世羅町寺町
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