干川(からかわ)から転訛? 弘法大師伝承、飛射神事・開運厄除祈祷
[住所]広島県三原市中之町5-10-20
[電話]0848-62-5818
賀羅加波神社(からかわじんじゃ)は、広島県三原市中之町にある神社。県道55号線を千川住宅の所で北上する。神紋は折敷に三階菱。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 御調郡「賀羅加波神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。社名の読みには二つの説がある。一つは、社前を流れる和久原川(湧原川)に由来するもの。
和久原川は扇状地地形を形成し、当社辺りで伏流するため、その地は干川(からかわ)と呼ばれてきた。
降水量の少ない瀬戸内沿岸にあって、貴重な水を神格化し、干川から転訛したというもの。もう一つは、朝鮮半島からの帰化人に起因するもの。半島の加羅国との関係。
奈良時代、宇佐から八幡神を勧請し創始したとされる御調八幡宮の伝承に、和気清麻呂の姉で和気広虫(法均尼)が「加羅河御廟に奉拝した」とある。
平安時代、干川に関する伝承がある。昔、一人の僧が川の近くの民家へ立ち寄り水を乞うた。その家の老婆は、労を惜しみ、これを断った。
そこで、その僧は、川のほとりに行き、流れている川水を地底に流れるようにしたため、干川となったといい、その僧は弘法大師だったという。
御祭神は、『式内社調査報告』によれば、天太玉命・天宇豆売命・瀬織津比売命(瀬織津姫)の3柱。天石窟で太玉命が祈祷なされ天鈿女命が神楽を舞ったとする。
『藝藩通志』によれば、瀬織津比賣命は河神で、治山 治水の大霊神として、地方大衆を守護する神だという。
『広島県神社誌』では、天照大御神・素盞嗚尊・豊受比売命を祭神とし、上記3柱の神々は、相殿に祀られているとしている。
また、太玉を大王と誤記し、賀羅加波大王を祀るとする説や、大山祇命を祀るとする説などもある。
尾道・三原・ 因島の御調の一の宮、御調宮などとも称せられ、当地方の総鎮守として崇敬された。明治以降は、御調では唯一の郷社に列した。
境内に入ると、市の天然記念物である大イチョウが目を引く。鳥居はなく、社殿や敷地自体は比較的小さい。しかし、どこか「神さびた」雰囲気を醸し出している。
社殿は、一間社流造の本殿の建立年代は不明で、三方に廻縁が造られ、奥は脇障子で止まる。屋根は銅板葺き。妻側は虹梁大瓶束が棟木を支える。
大正12年(1922年)に造営された拝殿は、三間社で大型な平入りの入母屋造の正面に千鳥破風を備え、前方1間分は吹き放ちの外陣となる。
向拝は大型の軒唐破風造り。拝殿の裏側は幣殿が建ち、その屋根は拝殿に接続されている。三棟とも銅板葺きの屋根だが、本殿だけが緑青色が強く出て、古さを感じさせる。
当社の特殊神事として、飛射神事というものがある。正月に梅の木で弓を作り、鬼門艮神へ矢を放ち、次いで鬼の字を書いた的を射る神事。
現在は1月末と2月初めに行われる開運厄除祈祷の一環として行われている。期間中は福豆が頂け、2月3日以降は、参拝者も飛射神事を体験することができる。
境内社に、宿里神社・太久良神社などがある。宿里神社(やどりじんじゃ)は、山城国祇園八坂神社の本宮で、茅輪神事の発祥であると伝えられている、という。
【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、事業成功、スポーツ・技芸上達
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賀羅加波神社(からかわじんじゃ)は、広島県三原市中之町にある神社。県道55号線を千川住宅の所で北上する。神紋は折敷に三階菱。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 御調郡「賀羅加波神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。社名の読みには二つの説がある。一つは、社前を流れる和久原川(湧原川)に由来するもの。
和久原川は扇状地地形を形成し、当社辺りで伏流するため、その地は干川(からかわ)と呼ばれてきた。
降水量の少ない瀬戸内沿岸にあって、貴重な水を神格化し、干川から転訛したというもの。もう一つは、朝鮮半島からの帰化人に起因するもの。半島の加羅国との関係。
奈良時代、宇佐から八幡神を勧請し創始したとされる御調八幡宮の伝承に、和気清麻呂の姉で和気広虫(法均尼)が「加羅河御廟に奉拝した」とある。
平安時代、干川に関する伝承がある。昔、一人の僧が川の近くの民家へ立ち寄り水を乞うた。その家の老婆は、労を惜しみ、これを断った。
そこで、その僧は、川のほとりに行き、流れている川水を地底に流れるようにしたため、干川となったといい、その僧は弘法大師だったという。
御祭神は、『式内社調査報告』によれば、天太玉命・天宇豆売命・瀬織津比売命(瀬織津姫)の3柱。天石窟で太玉命が祈祷なされ天鈿女命が神楽を舞ったとする。
『藝藩通志』によれば、瀬織津比賣命は河神で、治山 治水の大霊神として、地方大衆を守護する神だという。
『広島県神社誌』では、天照大御神・素盞嗚尊・豊受比売命を祭神とし、上記3柱の神々は、相殿に祀られているとしている。
また、太玉を大王と誤記し、賀羅加波大王を祀るとする説や、大山祇命を祀るとする説などもある。
尾道・三原・ 因島の御調の一の宮、御調宮などとも称せられ、当地方の総鎮守として崇敬された。明治以降は、御調では唯一の郷社に列した。
境内に入ると、市の天然記念物である大イチョウが目を引く。鳥居はなく、社殿や敷地自体は比較的小さい。しかし、どこか「神さびた」雰囲気を醸し出している。
社殿は、一間社流造の本殿の建立年代は不明で、三方に廻縁が造られ、奥は脇障子で止まる。屋根は銅板葺き。妻側は虹梁大瓶束が棟木を支える。
大正12年(1922年)に造営された拝殿は、三間社で大型な平入りの入母屋造の正面に千鳥破風を備え、前方1間分は吹き放ちの外陣となる。
向拝は大型の軒唐破風造り。拝殿の裏側は幣殿が建ち、その屋根は拝殿に接続されている。三棟とも銅板葺きの屋根だが、本殿だけが緑青色が強く出て、古さを感じさせる。
当社の特殊神事として、飛射神事というものがある。正月に梅の木で弓を作り、鬼門艮神へ矢を放ち、次いで鬼の字を書いた的を射る神事。
現在は1月末と2月初めに行われる開運厄除祈祷の一環として行われている。期間中は福豆が頂け、2月3日以降は、参拝者も飛射神事を体験することができる。
境内社に、宿里神社・太久良神社などがある。宿里神社(やどりじんじゃ)は、山城国祇園八坂神社の本宮で、茅輪神事の発祥であると伝えられている、という。
【ご利益】
五穀豊穣、身体壮健、事業成功、スポーツ・技芸上達
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