もとは彦山中腹、吉備の海部の居所に祖神の彦狭島命を祀る、明治遷座
[住所]広島県福山市瀬戸町長和3098
[電話]-
彦佐須岐神社(ひこさすきじんじゃ、彦佐須伎神社)は、広島県福山市瀬戸町長和にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 沼隈郡「比古佐湏伎神社/比古佐須伎神社」に比定される式内社(小社)。
山陽本線の備後赤坂駅の南東、芦田川の西、県道251号線と交わる県道72号線の近く、字志田原の地に鎮座する。
創祀年代は不詳。『式内社調査報告』によれば、当地は吉備の海部の居所であり、その祖神である彦狭島命を祀ったものだという。
彦狭島命は、第7代孝霊天皇の皇子で、『古事記』には播磨の牛鹿の臣の祖とある。
もとは現在地から南東2キロにある、標高430メートルの彦山の中腹にあった。江戸時代初期か、福島正則の時、社領4町5反が召し上げられたという。
備後福山藩の水野・阿部藩主家の崇敬が篤く、例祭には藩主の参拝があり、御初穂金300匹、太刀1腰、御具足5領、御長柄拾筋・陣太鼓など約125点の献上品の寄進があった。
明治20年(1887年)、竃神社境内だった現在地に遷座。明治43年(1909年)、竃神社と、その境内社だった二宮神社・落神社、拝立神社、桧木神社、山神社二社を合祀した。
現在は、主祭神が彦炎々出見命(天彦火々出見命)。大己貴命・大山祇命・奥津比古命・奥津比売命・落神を配祀する。彦狭島命が抜けているようだ。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、身体壮健
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彦佐須岐神社(ひこさすきじんじゃ、彦佐須伎神社)は、広島県福山市瀬戸町長和にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 沼隈郡「比古佐湏伎神社/比古佐須伎神社」に比定される式内社(小社)。
山陽本線の備後赤坂駅の南東、芦田川の西、県道251号線と交わる県道72号線の近く、字志田原の地に鎮座する。
創祀年代は不詳。『式内社調査報告』によれば、当地は吉備の海部の居所であり、その祖神である彦狭島命を祀ったものだという。
彦狭島命は、第7代孝霊天皇の皇子で、『古事記』には播磨の牛鹿の臣の祖とある。
もとは現在地から南東2キロにある、標高430メートルの彦山の中腹にあった。江戸時代初期か、福島正則の時、社領4町5反が召し上げられたという。
備後福山藩の水野・阿部藩主家の崇敬が篤く、例祭には藩主の参拝があり、御初穂金300匹、太刀1腰、御具足5領、御長柄拾筋・陣太鼓など約125点の献上品の寄進があった。
明治20年(1887年)、竃神社境内だった現在地に遷座。明治43年(1909年)、竃神社と、その境内社だった二宮神社・落神社、拝立神社、桧木神社、山神社二社を合祀した。
現在は、主祭神が彦炎々出見命(天彦火々出見命)。大己貴命・大山祇命・奥津比古命・奥津比売命・落神を配祀する。彦狭島命が抜けているようだ。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、身体壮健
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