深津王子神社、風土記ゆかり、深津王子山城、風羅堂の句碑
王子神社 広島県福山市東深津町5-15-1
[住所]広島県福山市東深津町5-15-1
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王子神社(おうじじんじゃ)は、広島県福山市東深津町にある神社。深津王子神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳山陽道神 備後国 深津郡「須佐能袁能神社」に比定される式内社(小社)の論社。

奈良時代の『備後国風土記』によれば、須佐之男命が朝鮮より八王子とともに帰朝し、自分たちを信仰すれば、その子孫を疫病から守ると言った。

そこで、深津郡の人々はこの深津島山に当社を建て、以降、広く当地方の人々の崇敬するところとなったという。

志賀剛『式内社の研究』によれば、式内社「須佐能袁能神社」は深津郡、すなわち海に近い場所にあったはずだという。

古代の地形からみると、海中の島だったという当地、深津嶋山=王子山はまさにそれに該当する。現在も、当地周辺が海だった証拠は多く残る。

また、境内には痘瘡除けの瘡神社があり、須佐之男命や八王子が持つ防疫神との神格に連なり、これも当社が須佐之男命・八王子を祀る式内社であることを示唆しているという。

標高20メートルの王子山は、東西約130メートル、南北約250メートルの規模で、後方の山は連続して連なっていた。

戦国時代、そこに毛利元就の八男、毛利元康が築城、拠点の一つにした。深津王子山城である。当社の脇にある井戸は、城用に掘られた水源とも考えられている。

江戸時代後期の『西備名区』深津郡条に、「王子権現」とある。「深津嶋山と云ふにあり。其先は石畳のうへに神躰の石を置くばかりなり」。

また、元禄年間(1688年-1704年)の検地の時、「彼竿役人の側に狐2疋が付廻りけるが、此山へ竿を入んとしける時、竿先に立回りける故に、免されて除地となり」とある。

そして、「今は繁昌して大社となれり」「此外、小祠共に二十座」と記載されている。

『式内社の研究』には、「西面する中祠で、本殿は正面2間・奥行3間で、舞殿は拝殿を兼ね」とある。

さらに、「境内の細長い建物の中に仏像が並び、明治以前に王子権現といった時代の神仏混淆の名残をとどめている」とある。

現在は、平成5年(1993年)に遷宮が行われたようで、境内東寄りに、南から舞殿を兼ねた拝殿・渡殿・本殿と連なる新しい社殿が建ち、仏像を納めたものは見えない。

当社境内には、町を見下ろすように、松尾芭蕉・志太野坡・素浅・安田南河の4基の句碑が並んでいる。

芭蕉のは、「扇にて 酒くむ影や 散桜」(1688年)。野坡のは、「凍みちや 梅は香もる 風羅堂」。

享保元年(1716年)、野坡は福山を訪れ、深津の醤油業今津屋達士・酒造業鍵屋由均らの支持を得て、風羅堂を創設。芭蕉を一世とし、野坡は二世と称した。

素浅のは、「簔嶋の 裾うつ浪や 秋日和」。享保年間 (1716年-1736年)末、野坡は福山から広島に移り、素浅は風羅堂三世となった。

南河のは、「移り来て 照りや二見の 望月を」。南河は風羅堂四世を継ぎ、「かくも世は 翁追ゆく 時雨哉」なども残し、寛政元年(1789年)に没した。

なお、式内社「須佐能袁能神社」の論社は他に、市内新市町神辺町の素盞嗚神社、蔵王町の天神社がある。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、病気平癒
王子神社 広島県福山市東深津町
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