天孫降臨で神宝の箱を持った神、江戸中期復興の三渓郡惣社
知波夜比古神社 広島県三次市三良坂町1077
[住所]広島県三次市三良坂町1077
[電話]0824-44-3539

知波夜比古神社(ちはやひこじんじゃ)は、広島県三次市三良坂町にある神社。福塩線の三良坂駅の北に鎮座する。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳山陽道神 備後国 三谿郡「知波夜比古神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。『藝藩通志』によれば、天孫瓊々杵尊が日向国に降臨する際、当社の御祭神である知波夜比古神は、三種の神宝の御箱を持ったという。

そのため、知波夜比古神を祀り、その山を御箱山と称した。あるいは、御神体を箱に納めて祀ったために、御箱山と称した、とも。

一方で、当社の御祭神は乳速日命(ちはやひのみこと)であるとも。『先代旧事本紀』にある饒速日命の天降りに随伴した32神のうちの1柱。

『双三郡誌』では、乳速日命の子孫が当地に土着、祖神を祀ったもの、としているが、「布野村の知波夜比売神社とは父子又は夫婦の関係ある神なるべし」ともする。

三次郡の式内社「知波夜比売神社」は三次市布野町の知波夜比売神社に比定されているが、現在の御祭神は、広端連・麻績連などの祖とされる乳速日命とはあまり関係ない。

戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、三吉氏が妻神の知波夜比売命の御神体を奪取したので、現在地の400メートル西方の山中に小祠を建てて隠宮としたという。

江戸時代前期の万治2年(1659年)、火災に遭い、社殿は焼失。小社を建てて祀っていたが、天明6年(1786年)、伊藤左馬之助重基が再興した。

三谷郡38ヶ村の総社、三渓郡惣社となった。正徳(1711年-1716年)、享保(1716年-1736年)の頃にも再興の機運があったというが、発起人の死などで延期されていた。

明治4年(1871年)、式内社「知波夜比古神社」は高杉町の同名神社に認定され、当社は終戦まで式内社とは認められなくなった。

明治23年(1890年)、今の社殿を再建した。本殿は、桁行3間、梁間2間の妻入り入母屋造。前方1間分は吹き放ちの外陣となるが、現在は板で囲われている。

身舎柱は円柱、外陣は角柱を使う。長押を打ち頭貫で固定し、その上に台輪を置き平三斗が丸桁を支える。柱間には蟇股を置き、木鼻や拳鼻には絵様を飾る。

軒は二軒で平行重垂木。自然石を積んだ上に建つ。四方を廻る高欄付きの縁を支える柱は古い。身舎を支える柱の基礎部分はコンクリートで盛り直され、補強されている。

大正11年(1922年)、字箱山の村社厳島神社、字段の多遠山神社、字溝口の榎田神社、字宮沖の沖森神社、大字三良坂内各地の荒神社を合祀、昭和4年(1929年)には郷社に列した。

御祭神は、知波夜比古命(乳速日命)の他、市杵嶋姫命を祀り、大年神国常立命天照大御神宇迦之御魂神宇気母智命火産霊神素戔嗚命を合祀する。

例祭は10月15日近い日曜日。湯立神事が行われる。湯立神事はこの例祭の他、祈年祭でも斎行される。

境内の摂末社に、伊勢社(天照皇大神)・大年神社・愛宕神社・穀神社(たなつじんじゃ)や、戦没者315柱を祀る桜神社がある。

境外社として、三良坂2659番地の天満神社(菅原道真公)、三良坂2753番地の八坂神社(素戔嗚命)があり、天満神社が当社御旅所になっている。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、五穀豊穣、開運招福
知波夜比古神社 広島県三次市三良坂町
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