鎌倉期に播磨を勧請、江戸前期から続く祇園祭、王の舞
[住所]福井県三方上中郡若狭町日笠5-1
[電話]-
廣嶺神社(ひろみねじんじゃ、広嶺神社)は、福井県三方上中郡若狭町日笠にある神社。近代社格では村社。国道27号線の丹後街道、日笠公民館の近くを南下する。御朱印の有無は不明。
第86代後堀河天皇の御代、鎌倉時代の寛喜2年(1230年)、播磨国廣峯山より牛頭天王を勧請して創建された。
当時の日笠村、玉置村、武生村、兼田村、加福禄村、神谷村6ヶ村の総鎮守、産土神として、尊崇された。
『若狭郡県志』には、江戸時代前期の延寶年間(1673年-1681年)の条に下記の記述がある。この神事は、1ヶ月遅れにより、今も連綿と続いている。
明治3年(1870年)、現社号に改称し、氏子も分離して日笠だけの氏神として奉祀され、明治41年(1908年)以降は村内の五王宮、六所神社を合祀した。
この六所神社は、『若狭国神名帳』所載の「正五位 田中氏明神」ともされる。日笠村の田中氏の宗家(上田中)の遠祖を祀った神祠で、六所大明神と称した。
室町時代の『神道集』「第五十 諏訪縁起事」における「田中明神」が、この六所神社ではないかとされる。
なお、当社は指定村社とされるため、いずれかの時期に、神饌幣帛料供進社に指定されたと考えられる。
昭和3年(1928年)の御大典記念に境内の整備が大々的に行なわれた。昭和55年(1980年)には御鎮座750年式年祭が執行され、大鳥居、石段再建など境内が整備された。
平成の御大典記念には参道に、交通安全祈願のため、自然石の燈籠が奉納された。
主祭神は、素盞嗚尊・稲田媛尊。五王大神・天児屋根命・伊弉册神・玉依日子命・応神天皇・大山咋命を合祀している。
古来、御祭神の御神徳から「水の神」「田の神」として農耕神とともに疫病の守護神として信仰されてきた。
近年では、本殿の前に並立する大杉と大樅の巨木から「夫婦木の杜」として縁結び、夫婦円満、家内安全、福寿長命の守護神として、夫婦で参拝する人が多いという。
例祭は4月10日。祈年祭が2月17日、新嘗祭が11月21日。旧暦6月13日に夜宮祭、翌14日に神輿渡御の神幸祭だったが、現在は7月最終日曜日とその前日。
夜宮祭・神幸祭あわせて祇園祭と呼ばれる。現在は一般的に宵宮と呼ばれる夜宮祭では、棒振太鼓や子供太鼓が奉納される。
祭礼当日の夕方、明治31年(11898年)製作・奉納の神輿が境内に安置され、神輿を前にして宮世話(みやぜわ)により王の舞と獅子舞がそれぞれ舞われる。
王の舞は宮世話の大人が務め、法被を羽織って鼻高面を額に乗せ、鉾を神輿の四隅で突き上げる動作をする非常に簡単なものが伝わっている。
この当社の王の舞は、町の無形民俗文化財「若狭の王の舞群」の一つである。なお、旧暦正月14日、旧暦9月14日、旧暦6月11日に神事が行われる。お日待神事・田の神祭り。
境内社に、蛭子神社・日枝神社・八幡神社・熊野神社・山ノ神社などがある。また、舞鶴の大川神社遥拝所、靖国神社・皇大神宮遥拝所などがある。
なお、町内には遊子にも同名の神社がある。
【ご利益】
夫婦和合、家内安全、縁結び、健康長寿
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廣嶺神社(ひろみねじんじゃ、広嶺神社)は、福井県三方上中郡若狭町日笠にある神社。近代社格では村社。国道27号線の丹後街道、日笠公民館の近くを南下する。御朱印の有無は不明。
第86代後堀河天皇の御代、鎌倉時代の寛喜2年(1230年)、播磨国廣峯山より牛頭天王を勧請して創建された。
当時の日笠村、玉置村、武生村、兼田村、加福禄村、神谷村6ヶ村の総鎮守、産土神として、尊崇された。
『若狭郡県志』には、江戸時代前期の延寶年間(1673年-1681年)の条に下記の記述がある。この神事は、1ヶ月遅れにより、今も連綿と続いている。
在上中郡日笠村所祭素盞嗚命也、伝言寛喜二年建之矣。三月八日奠粢供醴而祭之同月一〇日有神事能。六月朔日庄内中立榊同八日庄内中獅子巡廻一〇日飾神輿、供神爾奉移神輿祭儀山崎氏行之者乎同一一日麦初尾神示同一四神輿遊行斯日有王舞特に神輿は神社所蔵の棟札により寛文11年(1671年)6月から約100年ごとに再興されているという。
明治3年(1870年)、現社号に改称し、氏子も分離して日笠だけの氏神として奉祀され、明治41年(1908年)以降は村内の五王宮、六所神社を合祀した。
この六所神社は、『若狭国神名帳』所載の「正五位 田中氏明神」ともされる。日笠村の田中氏の宗家(上田中)の遠祖を祀った神祠で、六所大明神と称した。
室町時代の『神道集』「第五十 諏訪縁起事」における「田中明神」が、この六所神社ではないかとされる。
なお、当社は指定村社とされるため、いずれかの時期に、神饌幣帛料供進社に指定されたと考えられる。
昭和3年(1928年)の御大典記念に境内の整備が大々的に行なわれた。昭和55年(1980年)には御鎮座750年式年祭が執行され、大鳥居、石段再建など境内が整備された。
平成の御大典記念には参道に、交通安全祈願のため、自然石の燈籠が奉納された。
主祭神は、素盞嗚尊・稲田媛尊。五王大神・天児屋根命・伊弉册神・玉依日子命・応神天皇・大山咋命を合祀している。
古来、御祭神の御神徳から「水の神」「田の神」として農耕神とともに疫病の守護神として信仰されてきた。
近年では、本殿の前に並立する大杉と大樅の巨木から「夫婦木の杜」として縁結び、夫婦円満、家内安全、福寿長命の守護神として、夫婦で参拝する人が多いという。
例祭は4月10日。祈年祭が2月17日、新嘗祭が11月21日。旧暦6月13日に夜宮祭、翌14日に神輿渡御の神幸祭だったが、現在は7月最終日曜日とその前日。
夜宮祭・神幸祭あわせて祇園祭と呼ばれる。現在は一般的に宵宮と呼ばれる夜宮祭では、棒振太鼓や子供太鼓が奉納される。
祭礼当日の夕方、明治31年(11898年)製作・奉納の神輿が境内に安置され、神輿を前にして宮世話(みやぜわ)により王の舞と獅子舞がそれぞれ舞われる。
王の舞は宮世話の大人が務め、法被を羽織って鼻高面を額に乗せ、鉾を神輿の四隅で突き上げる動作をする非常に簡単なものが伝わっている。
この当社の王の舞は、町の無形民俗文化財「若狭の王の舞群」の一つである。なお、旧暦正月14日、旧暦9月14日、旧暦6月11日に神事が行われる。お日待神事・田の神祭り。
境内社に、蛭子神社・日枝神社・八幡神社・熊野神社・山ノ神社などがある。また、舞鶴の大川神社遥拝所、靖国神社・皇大神宮遥拝所などがある。
なお、町内には遊子にも同名の神社がある。
【ご利益】
夫婦和合、家内安全、縁結び、健康長寿
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