崇神朝の創祀のクニタマさま、「飯玉縁起」飯玉大明神、飯玉さま
[住所]群馬県高崎市倉賀野町1263
[電話]027-346-2458
倉賀野神社(くらがのじんじゃ)は、群馬県高崎市倉賀野町にある神社。烏川の北、県道173号線と県道121号線の交差する地の近くで、121号線の上町交差点の南西。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社号票には「総鎮守圀䰟」とある。「圀䰟」は「国魂」の別字。拝殿には「倉賀野神社」「飯玉大明神」という二枚の扁額が並んでいる。通称は飯玉さま(いいだまさま)。
社伝によれば、第10代崇神天皇48年9月19日、皇子豊城入彦命が陣中、つまり今の境内に斎場を設け、松樹を手植えし、亀形の御愛石を御魂代として祭祀したのが起源。
この石は倭大国魂神の御分霊と伝わり、「御神体のクニタマさま」として今も当社の本殿に奉安されている。
『上野国神名帳』に「正五位上 大国玉明神」とある。当社の御祭神である大国魂神とは、大国主命の荒魂のこと。
当社には「飯玉縁起」という書が伝わっている。第49代光仁天皇の御代、だから、奈良時代末期のこと、ということになる。
群馬郡の地頭群馬太夫満行には八人の子がいた。末子の八郎満胤は優秀だったため、兄たちの恨みを買い、夜討の末、鳥啄池の岩屋に押し込められた。
3年後、八郎は龍王の智徳を受けて大蛇とって兄たちへの復讐を遂げるが、その後も人々を害するようになり、帝はこれを憂え、年に1人の生贄を許した。
小幡権守宗岡が贄番に当たる年、16才の娘海津姫との別れを嘆き悲しんでいる時、都から来た奥州への勅使、宮内判官宗光はこれを知り、海津姫とともに岩屋へ入った。
宗光は、暴れる大蛇に対し、一心に観世音菩薩の名を唱え、琴を弾いた。すると、大蛇は黄色の涙を流して悔い改め、下記のように託宣し消え失せた。
また、『神道集』「第四十八 上野国那波八郎大明神事」はこれとほとんど同じ話だが、最大の違いのポイントは『神道集』には「飯玉」は出てこない。
なお、旧那波郡(群馬県南部)を中心に、飯玉と称する神社が数十社存在する。中でも堀口飯玉神社では、平安時代末期に那波太郎広純が封内99ヶ所に飯玉飯福を分祠したと伝わる。
平安時代前期の大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征凱旋の途次、当社社殿を造営、舞楽を奏上した。当社に伝わる社宝「翁面」はこの故事に由来するという。
鎌倉時代の建長5年(1253年)、武蔵七党児玉党の配下にあった倉賀野氏が当社殿を造営、以後も児玉氏の氏神として修営が繰り返された。
江戸時代には飯玉大明神・飯玉神社と呼ばれ、近隣の総鎮守・倉賀野宿の守護として栄えた。
明治10年(1877年)、大国魂神社に改称し、明治43年(1909年)に近隣の数社を合併して、現社号に改称した。
現在までに、御間城入彦五十瓊殖命・活目入彦五十狹茅尊・大足彦忍代別尊・豊城入彦命・八綱田命・彦狹嶋王命・御諸別王命・荒田別巫別命・上毛君田道命・上毛君形名命・上毛野稚子命・上毛野安麿命・上毛野朝臣廣人命・上毛野朝臣頴命を配祀する。
このうち、上毛君田道命の墓は前橋市総社町総社の蛇穴山古墳とされ、飯玉縁起と似たような話を伝える。また、速須佐之男命・宇迦之御魂命・月夜見命・菊理比咩命を合祀する。
本殿は幕末の元治2年(1865年)上棟で、市の重要文化財に指定されている。拝殿内に天明7年(1787年)の狩野探雲作・厄除 雲龍図があるという。
拝殿の向拜に琴を弾く宗光の彫刻がある。信濃の彫師である北村喜代松の作だという。「飯玉縁起」の伝説を物語っている。
境内として、甲子大黒天、冠稲荷社(宇迦之御魂命)、天明神輿を納めた神輿庫の横に天神社(菅原道真)、それと長屋状に祀った境内社として、下記がある。
大歳御祖神社(大歳御祖神)、水神社(弥都波能売神)、土神社(埴安神)、木神社(久々能智神)、山神社(大山祇神)、金神社(金山彦神・金山姫神)、火神社(火迦具土神)、海神社(大綿津見神)、雨神社(天水分神・国水分神)、風神社(級長津彦命・級長戸辺神)。
さらに、庚申塔が並び、飯塚久敏の歌碑もある。また、境内の南側。中学校との境の道路を背にして、北を向いている北向道祖神(猿田彦大神)があり、庚申塔や磐座がある。
天明神輿は、天明4年(1784年)10月、大阪北御堂前宮屋九郎兵衛の作で、その翌年、倉賀野宿須賀七代庄兵衛妻圓が奉納したもの。
1月15日には、北向道祖神大祭と合わせて古神札焼納祭が行われ、無病息災が祈願される。
4月19日が春季大祭、10月19日が秋季例大祭で、太々神楽、豊栄の舞・浦安の舞などの巫女舞などが神前で奉奏される。
また、6月30日には夏越大祓式があり、参拝者は参道に設けられた「茅の輪」をくぐり、半年間の厄を祓い清める。
【ご利益】
諸願成就(公式HP)
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[電話]027-346-2458
倉賀野神社(くらがのじんじゃ)は、群馬県高崎市倉賀野町にある神社。烏川の北、県道173号線と県道121号線の交差する地の近くで、121号線の上町交差点の南西。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社号票には「総鎮守圀䰟」とある。「圀䰟」は「国魂」の別字。拝殿には「倉賀野神社」「飯玉大明神」という二枚の扁額が並んでいる。通称は飯玉さま(いいだまさま)。
社伝によれば、第10代崇神天皇48年9月19日、皇子豊城入彦命が陣中、つまり今の境内に斎場を設け、松樹を手植えし、亀形の御愛石を御魂代として祭祀したのが起源。
この石は倭大国魂神の御分霊と伝わり、「御神体のクニタマさま」として今も当社の本殿に奉安されている。
『上野国神名帳』に「正五位上 大国玉明神」とある。当社の御祭神である大国魂神とは、大国主命の荒魂のこと。
当社には「飯玉縁起」という書が伝わっている。第49代光仁天皇の御代、だから、奈良時代末期のこと、ということになる。
群馬郡の地頭群馬太夫満行には八人の子がいた。末子の八郎満胤は優秀だったため、兄たちの恨みを買い、夜討の末、鳥啄池の岩屋に押し込められた。
3年後、八郎は龍王の智徳を受けて大蛇とって兄たちへの復讐を遂げるが、その後も人々を害するようになり、帝はこれを憂え、年に1人の生贄を許した。
小幡権守宗岡が贄番に当たる年、16才の娘海津姫との別れを嘆き悲しんでいる時、都から来た奥州への勅使、宮内判官宗光はこれを知り、海津姫とともに岩屋へ入った。
宗光は、暴れる大蛇に対し、一心に観世音菩薩の名を唱え、琴を弾いた。すると、大蛇は黄色の涙を流して悔い改め、下記のように託宣し消え失せた。
神明となって衆生を利益せん、吾が名は飯玉その後、社殿を建て「飯玉大明神」を祀ったという。八十神に迫害された大国主命と、八岐大蛇退治の素盞鳴尊を合わせたような話。
また、『神道集』「第四十八 上野国那波八郎大明神事」はこれとほとんど同じ話だが、最大の違いのポイントは『神道集』には「飯玉」は出てこない。
なお、旧那波郡(群馬県南部)を中心に、飯玉と称する神社が数十社存在する。中でも堀口飯玉神社では、平安時代末期に那波太郎広純が封内99ヶ所に飯玉飯福を分祠したと伝わる。
平安時代前期の大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征凱旋の途次、当社社殿を造営、舞楽を奏上した。当社に伝わる社宝「翁面」はこの故事に由来するという。
鎌倉時代の建長5年(1253年)、武蔵七党児玉党の配下にあった倉賀野氏が当社殿を造営、以後も児玉氏の氏神として修営が繰り返された。
江戸時代には飯玉大明神・飯玉神社と呼ばれ、近隣の総鎮守・倉賀野宿の守護として栄えた。
明治10年(1877年)、大国魂神社に改称し、明治43年(1909年)に近隣の数社を合併して、現社号に改称した。
現在までに、御間城入彦五十瓊殖命・活目入彦五十狹茅尊・大足彦忍代別尊・豊城入彦命・八綱田命・彦狹嶋王命・御諸別王命・荒田別巫別命・上毛君田道命・上毛君形名命・上毛野稚子命・上毛野安麿命・上毛野朝臣廣人命・上毛野朝臣頴命を配祀する。
このうち、上毛君田道命の墓は前橋市総社町総社の蛇穴山古墳とされ、飯玉縁起と似たような話を伝える。また、速須佐之男命・宇迦之御魂命・月夜見命・菊理比咩命を合祀する。
本殿は幕末の元治2年(1865年)上棟で、市の重要文化財に指定されている。拝殿内に天明7年(1787年)の狩野探雲作・厄除 雲龍図があるという。
拝殿の向拜に琴を弾く宗光の彫刻がある。信濃の彫師である北村喜代松の作だという。「飯玉縁起」の伝説を物語っている。
境内として、甲子大黒天、冠稲荷社(宇迦之御魂命)、天明神輿を納めた神輿庫の横に天神社(菅原道真)、それと長屋状に祀った境内社として、下記がある。
大歳御祖神社(大歳御祖神)、水神社(弥都波能売神)、土神社(埴安神)、木神社(久々能智神)、山神社(大山祇神)、金神社(金山彦神・金山姫神)、火神社(火迦具土神)、海神社(大綿津見神)、雨神社(天水分神・国水分神)、風神社(級長津彦命・級長戸辺神)。
さらに、庚申塔が並び、飯塚久敏の歌碑もある。また、境内の南側。中学校との境の道路を背にして、北を向いている北向道祖神(猿田彦大神)があり、庚申塔や磐座がある。
天明神輿は、天明4年(1784年)10月、大阪北御堂前宮屋九郎兵衛の作で、その翌年、倉賀野宿須賀七代庄兵衛妻圓が奉納したもの。
1月15日には、北向道祖神大祭と合わせて古神札焼納祭が行われ、無病息災が祈願される。
4月19日が春季大祭、10月19日が秋季例大祭で、太々神楽、豊栄の舞・浦安の舞などの巫女舞などが神前で奉奏される。
また、6月30日には夏越大祓式があり、参拝者は参道に設けられた「茅の輪」をくぐり、半年間の厄を祓い清める。
【ご利益】
諸願成就(公式HP)
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