江戸初期の創建、悪疫防ぐ弓の神、歴史ある節分祭の豆まき
[住所]群馬県伊勢崎市大正寺町272
[電話]0270-32-3964
豊武神社(とよたけじんじゃ)は、群馬県伊勢崎市大正寺町にある神社。国道462号線と、県道142号線の日光例幣使街道の除ケ大正寺交差点の東。御朱印の有無は不明。
もとは八幡宮。その創建は、江戸時代初期の元和2年(1616年)と伝わる。火災により、古記録を喪失しているため、その後の由緒は不明な点が多い。
ある年、疫病が大流行し、周辺に多くの感染者と死者を出した。しかし、当社氏子には感染者もでなかった。
それは、ある氏子の村民が、霊夢により、当社の階壇に1000張の弓を、氏子各戸に1張ずつの弓を掛け、祈願したため、悪疫の侵害を防いだという。
弓矢の神として知られ、弓術者の信仰が特に篤く、弓術者の奉額も、確認できるものだけでも、明治30年(1897年)、明治45年(1912年)、昭和35年(1960年)のものがある。
社域に浦風林右エ門の相撲辻があって、幕末の文久元年(1861年)に創設されたという記録がある。その相撲辻にあった95貫(356キロ)の大石が参道に立っている。
明治42年(1909年)、大正寺八幡宮、下道寺飯玉神社、富塚諏訪神社、除ケ飯玉神社、下福島八郎大明神を合祀した。
下福島八郎大明神は戦後になり、旧社地に復した。群馬八郎満胤の伝承が残る、現在の八郎神社である。
また、合祀各社の四社の頭文字が「た・け・と・よ」となるため、八幡宮から現社号に改称した。
御祭神は、主祭神が誉田別命。健御名方命・倉稲魂命・保食命・日本武命・大日霊命・大物主命・素戔嗚命・大山祇命・手力雄命・菅原道真命・別雷命を合祀する。
当社といえば、節分祭の豆まきが有名。豊武地区に出生・居住、または生来この地区に関わりのある満40歳となる男子を対象に、男の本厄である数えで42歳の厄払いの儀式。
地区住民全員を招いて催され、年男たちが裃姿で豆まきをし、みんなで祝福する。すでに100回以上の歴史があり、つまり100年の歴史がある伝統行事として定着している。
境内社に、豊武天満宮・衣笠稲荷などがあり、他に石祠が祀られている。「豊武神社の道標」がある。もとは合祀した大正寺八幡宮のもの。
江戸時代中期の安永8年(1779年)の銘がある。この道標は、二十二夜信仰に基づき、正面に如意輪観音の座像が美しく彫られ、右に安永8年銘、左に二十二夜供養とある。
また、台石正面に「村中男女」、台石左に「右ちゝぶ(秩父)」、「左日光」とあり、もとは例幣使街道沿いに建てられていたと考えられる。
【ご利益】
厄災除け、悪疫退散、スポーツ・技芸上達
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豊武神社(とよたけじんじゃ)は、群馬県伊勢崎市大正寺町にある神社。国道462号線と、県道142号線の日光例幣使街道の除ケ大正寺交差点の東。御朱印の有無は不明。
もとは八幡宮。その創建は、江戸時代初期の元和2年(1616年)と伝わる。火災により、古記録を喪失しているため、その後の由緒は不明な点が多い。
ある年、疫病が大流行し、周辺に多くの感染者と死者を出した。しかし、当社氏子には感染者もでなかった。
それは、ある氏子の村民が、霊夢により、当社の階壇に1000張の弓を、氏子各戸に1張ずつの弓を掛け、祈願したため、悪疫の侵害を防いだという。
弓矢の神として知られ、弓術者の信仰が特に篤く、弓術者の奉額も、確認できるものだけでも、明治30年(1897年)、明治45年(1912年)、昭和35年(1960年)のものがある。
社域に浦風林右エ門の相撲辻があって、幕末の文久元年(1861年)に創設されたという記録がある。その相撲辻にあった95貫(356キロ)の大石が参道に立っている。
明治42年(1909年)、大正寺八幡宮、下道寺飯玉神社、富塚諏訪神社、除ケ飯玉神社、下福島八郎大明神を合祀した。
下福島八郎大明神は戦後になり、旧社地に復した。群馬八郎満胤の伝承が残る、現在の八郎神社である。
また、合祀各社の四社の頭文字が「た・け・と・よ」となるため、八幡宮から現社号に改称した。
御祭神は、主祭神が誉田別命。健御名方命・倉稲魂命・保食命・日本武命・大日霊命・大物主命・素戔嗚命・大山祇命・手力雄命・菅原道真命・別雷命を合祀する。
当社といえば、節分祭の豆まきが有名。豊武地区に出生・居住、または生来この地区に関わりのある満40歳となる男子を対象に、男の本厄である数えで42歳の厄払いの儀式。
地区住民全員を招いて催され、年男たちが裃姿で豆まきをし、みんなで祝福する。すでに100回以上の歴史があり、つまり100年の歴史がある伝統行事として定着している。
境内社に、豊武天満宮・衣笠稲荷などがあり、他に石祠が祀られている。「豊武神社の道標」がある。もとは合祀した大正寺八幡宮のもの。
江戸時代中期の安永8年(1779年)の銘がある。この道標は、二十二夜信仰に基づき、正面に如意輪観音の座像が美しく彫られ、右に安永8年銘、左に二十二夜供養とある。
また、台石正面に「村中男女」、台石左に「右ちゝぶ(秩父)」、「左日光」とあり、もとは例幣使街道沿いに建てられていたと考えられる。
【ご利益】
厄災除け、悪疫退散、スポーツ・技芸上達
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