『神道集』「上野国那波八郎大明神事」記載の群馬八郎満胤
八郎神社 群馬県伊勢崎市福島町2-1
[住所]群馬県伊勢崎市福島町2-1
[電話]-

八郎神社(はちろうじんじゃ)は、群馬県伊勢崎市福島町にある神社。利根川東岸、国道462号線から分かれる県道18号線を北上する。御朱印の有無は不明。

『神道集』「第四十八 上野国那波八郎大明神事」に記載されている奈良時代、光仁天皇の御世(770年-781年)における群馬八郎満胤の伝承にちなむ。

満胤は、上野国群馬郡の地頭だった群馬大夫満行の八男。父に期待され、父亡き後も順調に出世、それをねたんだ兄たちに殺害され、怨霊となって神通力ある大蛇になった。

その後、兄たちやその妻子、一族、眷属まで生贄に取って鏖殺、さらにその後20年にわたって生贄を求めたが、あるきっかけで改心して、大明神として顕現した、という。

御祭神は群馬八郎満胤。明治42年(1909年)、大正寺町の八幡宮に合祀された。この八幡宮が現在の豊武神社である。

その際、当社本殿は八斗島の稲荷神社へ譲ることとなったが、本殿移転の夜に大風が吹き、荒れて雷鳴が轟いたと伝えられている。

その後昭和45年(1970年)、現在地へ分祀された。ちなみに、「上野国那波八郎大明神事」に登場する人物はいずれも神として周辺で祀られている。

また、満胤が兄たちに殺害され、投げ込まれ、大蛇に化身する場所が「高井の岩屋」。前橋市総社町総社の蛇穴山古墳に比定されている。

考古学的には、一辺の長さ約40メートルの方墳で、埋葬主体は横穴式石室。石室の規模は玄室長(西)3メートル、同幅2.6メートル、同高さ1.8メートル。8世紀初頭造築。

『群馬高井岩屋縁起』によれば、第15代仁徳天皇55年に蝦夷の叛乱で敗死した上毛野田道(田道将軍)を葬った墳墓。「上野国那波八郎大明神事」と似た伝承が残っている。

田道将軍の怨霊は大蛇となり、蝦夷は蛇毒によりことごとく死亡したと伝えられる。その後、大蛇は蒼海の風呂沼に棲んで生贄を求めるようになった。

その犠牲者を供養するために、化粧薬師の石仏が祀られた。また、田道将軍の墳墓は蛇穴山と呼ばれ、本地として弁財天が祀られた。

【ご利益】
諸願成就
八郎神社 群馬県伊勢崎市福島町
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