黒髪山は相馬山の別名で雷神「くらおかみ」、講社による信仰続く
[住所]群馬県北群馬郡榛東村広馬場3615
[電話]-
黒髪山神社(くろかみやまじんじゃ)は、群馬県北群馬郡榛東村広馬場にある神社。県道154号線の井戸尻の交差点の近く。道路向かい山口様方で、御朱印(志納)やお守を頂ける。
「群馬名所百選」の一つ。相馬山黒髪神社・相馬山神社・黒髪神社などとも。上毛三山の一つ榛名山にある、標高1411メートルの相馬山を御神体とする山岳信仰の神社。
相馬山は、別名「黒髪山」。日本武尊が、東夷征伐の時に登ったという伝説がある。室町時代中期の天台宗の学僧・歌人である尭恵『北国紀行』に下記の歌が掲載されている。
里宮は後述するように、近代以降に整備されたともされるが、山に対する信仰心や恐怖心から考えると、山を仰ぎ見る形で祭祀が始まった可能性が指摘されている。
そのため、里宮の原型がまずあり、その後に、山頂において社殿が整備されたともされる。山岳信仰の霊山として厚く信仰されたことは間違いない。
近代以降、険阻なため老人、婦女子には登拝が困難なため、里宮建立の気運が高まった。
南和十郎ほか地元の有志が発起人となり、山頂に社を造営した後、明治20年(1887年)、現在地に神道修成派上野祠を完成させた。つまり当社である。
節分、二年参りなどの祭典には講社によって村内はもちろん、前橋、高崎方面からの信者で賑わう。御祭神は大山祇命。
境内には「光正霊神」「喜元霊神」「天流摩夜天宮」などと刻まれた石碑が多くある。「御嶽山神社」の碑もある。
社殿には奉納された天狗の面が掲げられ、社殿の左側には「天神地祇」と彫られた石の祠がある。
その石の祠の裏には、「八万三千三六九三三四一八二 四五十二四六百千億十一」と数字が彫られている。「弁慶公遺書」の下記の意。
熾仁親王の薨去後、明治30年(1897年)頃、有栖川宮の病気に対して当社へ祈願と、先達、南和十郎の施術が卓効ありとして褒賞された。
その際、冠と御歌一首の他、明治33年(1900年)11月3日の天長節と翌明治34年(1901年)1月5日の新年宴会に宮内大臣より宮中へ招待された。
冠、御歌を宝物、あるいは御神体として、有栖川宮神社が創立された。
また、当社の参道入口にあるモミの木は、樹齢約250年、樹高30メートルの御神木で、やはり境内のアカマツとともに、村の天然記念物に指定されている。
【ご利益】
リフレッシュ、身体壮健、五穀豊穣、家内安全
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黒髪山神社(くろかみやまじんじゃ)は、群馬県北群馬郡榛東村広馬場にある神社。県道154号線の井戸尻の交差点の近く。道路向かい山口様方で、御朱印(志納)やお守を頂ける。
「群馬名所百選」の一つ。相馬山黒髪神社・相馬山神社・黒髪神社などとも。上毛三山の一つ榛名山にある、標高1411メートルの相馬山を御神体とする山岳信仰の神社。
相馬山は、別名「黒髪山」。日本武尊が、東夷征伐の時に登ったという伝説がある。室町時代中期の天台宗の学僧・歌人である尭恵『北国紀行』に下記の歌が掲載されている。
たが袖の 秋の別れか 櫛の歯の 黒髪山ぞ なまくしぐるる黒髪山は「くらおかみ」、闇淤加美神・闇龗神であり、水神であると同時に、雷神。山の恵みに対する恩恵への感謝はもちろん、雷電の発生する山として恐れられた。
里宮は後述するように、近代以降に整備されたともされるが、山に対する信仰心や恐怖心から考えると、山を仰ぎ見る形で祭祀が始まった可能性が指摘されている。
そのため、里宮の原型がまずあり、その後に、山頂において社殿が整備されたともされる。山岳信仰の霊山として厚く信仰されたことは間違いない。
近代以降、険阻なため老人、婦女子には登拝が困難なため、里宮建立の気運が高まった。
南和十郎ほか地元の有志が発起人となり、山頂に社を造営した後、明治20年(1887年)、現在地に神道修成派上野祠を完成させた。つまり当社である。
節分、二年参りなどの祭典には講社によって村内はもちろん、前橋、高崎方面からの信者で賑わう。御祭神は大山祇命。
境内には「光正霊神」「喜元霊神」「天流摩夜天宮」などと刻まれた石碑が多くある。「御嶽山神社」の碑もある。
社殿には奉納された天狗の面が掲げられ、社殿の左側には「天神地祇」と彫られた石の祠がある。
その石の祠の裏には、「八万三千三六九三三四一八二 四五十二四六百千億十一」と数字が彫られている。「弁慶公遺書」の下記の意。
山道は 寒くさみしし ひとつやに 夜毎に白くも もち置く霜境内には、有栖川宮神社がある。御祭神は幕末から近代にかけての皇族である有栖川宮熾仁親王(1835-1895年)。
熾仁親王の薨去後、明治30年(1897年)頃、有栖川宮の病気に対して当社へ祈願と、先達、南和十郎の施術が卓効ありとして褒賞された。
その際、冠と御歌一首の他、明治33年(1900年)11月3日の天長節と翌明治34年(1901年)1月5日の新年宴会に宮内大臣より宮中へ招待された。
冠、御歌を宝物、あるいは御神体として、有栖川宮神社が創立された。
また、当社の参道入口にあるモミの木は、樹齢約250年、樹高30メートルの御神木で、やはり境内のアカマツとともに、村の天然記念物に指定されている。
【ご利益】
リフレッシュ、身体壮健、五穀豊穣、家内安全
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