平安期に千葉市の祖平常将を祀る、太々神楽が復興、春秋に奉納
[住所]群馬県北群馬郡榛東村山子田2527
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常将神社(つねまさじんじゃ)は、群馬県北群馬郡榛東村山子田にある神社。近代社格では村社。榛東村役場の近く、柳沢寺の北隣。御朱印の有無は不明。

関越自動車道の渋川伊香保インターチェンジから西進。JR上越線を越え、上越新幹線も越える。県道153号線に近い。

『船尾山縁記』によれば、常陸・下総・安房・上総の四ヶ国の大将である千葉左衛門常将(平常将)は、船尾山柳沢寺の千手観音に子授けの願をかけて99日間参籠した。

そこで相満という若君を得、常将は相満を柳沢寺に預けて学問を学ばせた。 山王の祭礼の日、若君は榛名山の天狗に連れ去られてしまった。

常将は寺が若君を隠していると誤解し、柳沢寺を焼き討ちにした。その後に天狗が若君をさらったことを知り、自分の所業を悔いて郎党とも自害した。

承暦3年(1079年)、常将の奥方は夫と郎党を弔うために柳沢寺を再建した後に自害。奥方は思川弁財天に、常将は当社に祀られたという。

「常将宮」と称し、小字神田の地に祀られた。室町時代の『神道集』「第四十七 群馬郡桃井郷上村内八ヶ権現事」では、八ヶ権現(津禰宮)と記載されている。

また、「第四十一 上野国第三宮伊香保大明神事」の石垣明神(石常明神)に比定される場合がある。その場合、奥方は有御前となり、近隣の大宮神社に比定される。

江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)、山子田村をあげて現在地に新社殿を造営し、元禄14年(1701)、完成、遷座した。本宮の地に今も碑がある。

江戸時代中期の享保17年(1732年)10月2日、正一位常将宮の宣旨を受けた。江戸時代後期の天保15年(1845年)、拝殿を再建した旨の棟札が現存する。

御祭神は平常将(千葉常将)。宇迦之御魂命日本武尊品田和気命を合祀している。例祭は4月21日と10月9日で、現在は4月・10月のそれぞれの中旬の日曜日。

太々神楽が伝わる。明治時代に一度消滅したが、大正15年(1926年)に広馬場聖宮神社から伝承し再興したもの。舞の数は36座あったが、近年舞っているのは12座ほど。

現在は「常将神社太々神楽」として、村指定文化財であり、境内入口石段の脇に「神楽殿」が建てられ、祭礼の日にそこで舞われる。

現在の社殿は昭和25年(1950年)に改築したもの。境内社に、吾妻社・天満宮・琴平神社などがある。

【ご利益】
諸願成就
常将神社 群馬県北群馬郡榛東村山子田
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