豊城入彦命が勧請した赤尾明神、江戸後期本殿と夫婦欅、半田歌舞伎
早尾神社 群馬県渋川市半田1442-2
[住所]群馬県渋川市半田1442-2
[電話]0279-22-4928

早尾神社(はやおじんじゃ)は、群馬県渋川市半田にある神社。近代社格では村社。半田早尾神社とも。国道17号線、半田の交差点の北。御朱印の有無は不明。

旧豊秋村大字中村。創建年代は不詳。豊城入彦命が上毛野を創めた際、上村・中村・下村を定め、中村のこの地に自ら勧請した、と伝わる。

その際、豊城入彦命が手植えしたのが大ケヤキで、半田早尾の夫婦欅として知られる。ただし、樹齢600年程度とされ、もちろん、豊城入彦命の時代とは符合しない。

このケヤキは、根元周り11メートル、目通り周り7.3メートル、樹高19メートル、枝張り東西26メートル・南北22メートルの御神木。

平成8年(1996年)、幹の空洞化が進み、危険なため、主幹9メートルで切り、幹を治療した。子授かりの御利益があるという。

当社は『上野国神名帳』所載の「従四位上 家尾明神」に比定される。この家尾が後に早尾に転訛したという。

あるいは、速素盞嗚命猿田彦命の2柱を奉斎するが、そのうちの速素盞嗚命の速と嗚が早尾に転訛したという。

室町時代の『神道集』「第四十一 上野国第三宮伊香保大明神事」では、「早尾大明神」と記載されている。

江戸時代中期の正徳3年(1713年)、再建された。天明3年(1783年)、浅間山の噴火後の洪水などにより、古文書などを喪失した。

江戸時代後期の文化14年(1817年)、群馬郡青梨子の桜井丹後藤原知義、半田の山口利根七積富と、半田の阿久沢宗左衛門の3人の宮大工により、現在の本殿が造営された。

現在は覆屋の中にあり、間口148センチ、奥行244センチ、高さ512センチの素木造で、柿葺の屋根を持ち、市の重要文化財に指定されている。

壁面、柱の上部や縁の下の木組み、梁、仕切り板、手狭など、至る所に熊谷の小林源八正信の作と言われる彫刻が施されている。

彫刻過多ともいえる意匠や細部の特徴から、江戸時代後期の特徴を示す貴重な神社本殿建築だという。

現在、境内には「半田歌舞伎坂東発祥之地」碑がある。明治初年(1868年)頃、境内の西側に総欅造りの舞台を設け、冬から春にかけての農閑期に地芝居が演じられた。

芸能の盛んな北橘村箱田・真壁・南室・吉岡町漆原の人々と交流し、演技の修練を積んでいた半田の人々が継承してきた。

現在は市民会館を主な発表場所として、技術の継承に努めているという。

当社は、明治になり、村社に列し、明治42年(1909年)2月には神饌幣帛料供進社に指定された。

拝殿前には石工木村治郎、築師西山籐吉により昭和11年(1936年)12月に建立された獅子山がある。また、境内には多くの石祠などによる末社が祀られている。

大黒天像や道祖神の碑もある。また、当社は毎年1月7日、県内でも珍しい占い神事「お的」が行われる。

これは、神児が境内の的田に用意されたお的に矢を放ち、当たった箇所によって農作物の豊凶を占うもの。

【ご利益】
厄災除け、地域安全、夫婦和合、子授かり
早尾神社 群馬県渋川市半田
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