創祀は開化帝、天武帝の時に難題、以後は著名な知恵の神
蟻通神社 和歌山県伊都郡かつらぎ町東渋田790
[住所]和歌山県伊都郡かつらぎ町東渋田790
[電話]0736-22-3400

蟻通神社(ありとおしじんじゃ)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町東渋田にある神社。国道480号線沿い、紀ノ川にかかる大門口大橋の南約200メートル。参拝すれば、御朱印を頂ける。

第9代開化天皇の御代、当村字畑山、いわゆる旧古宮山に勧請し、旧志冨田の庄の総産土神として崇敬された。

第10代崇神天皇の御代、疫病が流行り、多くの人が病に倒れた時、それを治めた意冨多々泥古神を祀るようになったという。

そのため、村名は意冨多村となり、後に南北朝時代初期の建武年間(1334年-1336年)頃より志冨多村と書くようになり、明治以降、渋田に改められた。

飛鳥時代、第40代天武天皇の御代、唐の高宗から七曲りの玉を献じられ、これに糸を通して返せと難題をかけられた。

その際、1人の老人が現れ、蟻に糸を結びつけ、玉の穴の一端に蜂蜜を塗り、一端から蟻を通した。

蟻は蜜の香りにひかれて穴を通り抜け、糸を通したのである。人々は感嘆してその名を問えば、「吾は紀の国蟻通の神」と言って姿を消した。

高宗は使者を遣わして紀の国を探ったところ、当村に蟻通の神が祀られており、これより朝野の信仰が篤くなったと伝えられている。

安土桃山時代の天正9年(1581年)、織田信長の高野攻めの際、兵火に罹り、本殿・御輿庫・社務所を焼失、宝物・古文書などすべてを失った。

文禄2年(1593年)正月、現在地に本殿・脇社を建て、遷座した。 社殿前には自然石造りの1.5メートルほどの大狛犬があり、昔からこの足下をくぐると疫病にかからないといわれている。

現在では、蟻の七曲りの玉を速やかに抜け通った由緒により、知恵の神として崇敬者が多く、入学祈願、就職祈願でも知られる。

主祭神は思兼命事代主命市杵嶋姫命大国主命少彦名命を配祀する。例祭は10月18日で、現在は10月第3日曜日。

春日造の本殿、流造の脇宮二宇、拝殿、社務所、入母屋造の集会所、切妻造の神饌所と神輿庫、鐘楼、神明鳥居の石造の一ノ鳥居と木造の二ノ鳥居、八幡鳥居の石造の西ノ鳥居。

境内には戎神社と平和宮神社がある。戎神社では、1月9日・10日に十日戎が行われ、多くの人出で賑わうという。

なお、県内の田辺市湊や、大阪府泉佐野市長滝に同名の神社がある他、「蟻通神社(蟻通明神)」は奈良県吉野郡東吉野村の丹生川上神社の旧称でもある。

【ご利益】
学業・受験合格、就職成功、事業成功、病気平癒
蟻通神社 和歌山県伊都郡かつらぎ町東渋田
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