奈良朝創建の御霊さん、10月に半月の湊祭、獅子舞と渡御
[住所]和歌山県田辺市湊1143
[電話]0739-24-5072

蟻通神社(ありとおしじんじゃ)は、和歌山県田辺市湊にある神社。近代社格では村社。JR紀伊本線の紀伊田辺駅の西方すぐ。御朱印の有無は不明。

社伝によれば、奈良時代の天平神護元年(766年)の勧請、創立だという。古い社名は御霊牛頭天王といわれ、湊の地主神として崇敬された。

現在も一般の氏子は「御霊さん」と呼び、変わらぬ信仰が行われている。ただ、室町時代の『神道集』「第三十七 蟻通明神事」では、蟻通明神。

ただし、「蟻通明神事」に関して、清少納言『枕草子』でも似たような逸話を載せ、後段の紀貫之の話を含め、大阪府泉佐野市長滝にある同名神社のこととも。

「蟻通神社(蟻通明神)」を称する神社は多く、上記の泉佐野市長滝の他、県内にはかつらぎ町にも同名神社があり、奈良県吉野郡東吉野村の丹生川上神社の旧称でもある。

ただ、当社はやはり、ほら貝に蜜をつけ、蟻に糸をむすび通した故事により、蟻通宮とも、知恵の神とも尊崇された。

正式には、江戸時代後期の文化9年(1812年)、社名を蟻通明神社に改称したという。明治元年(1868年)、神仏分離で現社号に改称した。

明治4年(1871年)11月、田辺県において郷社に列したが、明治6年(1873年)4月、和歌山県となった後に村社に列した。

明治10年(1877年)12月、愛宕山の愛宕神社を合祀、明治36年(1903ン)3月、一村一社の神社合祀令により、志保古の八坂神社と住吉神社を合祀した。

さらに明治43年(1910年)1月、山崎の八幡神社を合祀して境内社とした。

明治44年(1911年)11月、神饌幣帛料供進社に指定され、大正3年(1914年)2月には会計法適用社にも指定された。

主祭神は、天児屋根命西宮大神市杵島姫命品陀和気命息長帯姫命火具土命須佐之男命住吉大神・地主神・菅原道真公を配祀する。

本殿は春日造、拝殿は入母屋造で、唐破風造の神門がある。境内社に、西宮大神宮・弁財天社・末社相殿(八幡神社・愛宕神社・八坂神社・住吉神社)・楠木社・天満宮。

「蟻通神社の森」として、市の天然記念物に指定されている。

例祭は10月17日。ただし10月1日の奉告祭に始まり、全体を湊祭と呼び、獅子神楽の奉納や神輿渡御などが斎行される。

10月1日に神輿本宿、獅子舞宿(3地区に各1戸)の奉告祭が行われ、注連作りなどの準備に入る。

13日は当社、神輿本宿、獅子舞宿の注連張り幟立てが行われる。獅子舞衆は、宵宮前日の15日、当社と当宿に獅子神楽を奉納する。

続いて門廻しと呼ばれる、氏子各戸に獅子神楽を奉納して廻り、16日も続けられる。宵宮祭は午後4時、神前で斎行、神輿本宿への渡御式を行う。

3地区の獅子神楽が奉納され、直会があり、午後6時お宿出発、午後6時半お宮還幸式。例祭は、午前8時半、再度渡御式斎行、9時氏子町内の渡御に出発する。

『神道集』「第三十七 蟻通明神事」

第29代欽明天皇の御代、唐から神璽の玉が大般若経に副えられて伝来した。この玉は天照大神が天降った時に第六天魔王から貰い受けた物で、国を治める宝である。

代々の帝に伝えられたが、第5代孝昭天皇の時に天朔女がこの玉を盗んで天に上り、玉は失われた。

第10代崇神天皇の御代、玄奘三蔵が大般若経を求めて天竺の仏生国に渡る途中、流沙で一人の美女と出会った。

三蔵は「大般若経を東国に伝えようと思います。特に般若心経は私の志であり、そのためなら屍を流沙に曝しても良いのです」と言った。

女は八坂の玉を取り出し、「この玉に緒を通せたら、あなたを仏生国に送りましょう」と言った。その玉の中の穴は七曲りしていた。

三蔵が思案していると、木の枝にいた機織虫が「蟻腰着糸向玉孔」と鳴いた。三蔵はこれを聞き、蟻を捕まえてその腰に糸を結び、玉の穴の口に入れた。

やがて蟻は一方の口へ通り抜け、緒を通す事ができた。

女は鬼王の姿を現し、「私は大般若守護十六善神の一人、秦奢大王である。汝は過去七生にも般若心経を伝えようとしたが、私が大事にしている経典なので、汝の命を七度奪ったのだ」と言い、頸に懸けた七つの髑髏を見せた。

秦奢大王は「これほど汝が志しているのなら、私が守護して送ってやろう」と言い、三蔵を肩にかついで仏生国に送り、大般若経と般若心経を与え、また東国に送り返した。

そして、「この玉を汝に与えよう。仏法東漸の理により大般若経と般若心経も日本に渡るだろう。この玉は元は日本の宝で、天朔女が奪った物なので、般若心経に副えて一緒に日本に渡そう。私が所持していた玉なので、私はそれに先立って日本に渡り、般若経の守護神となろう」と言った。

こうして秦奢大王は日本国に神として顕れ、紀伊国田辺に蟻通明神として祀られた。また、蟻通の玉は欽明天皇の御代に経典とともに日本に伝わり、三種の宝の一つになった。

延喜帝の御代に紀貫之朝臣が紀伊国に補任された時、社前を通ろうとすると馬がすくんで動かなくなった。

里の者が 「この社は蟻通明神といい秦奢大王が応迹された神です。御法施をなさいませ」と言うので、貫之が
七わたに 曲れる玉の ほそ緒をば 蟻通しきと 誰か知らまし

かきくもり あさせもしらぬ 大空に 蟻通しとは 思ふべし
と詠み、般若心経の読誦と奉幣を行うと、馬は再び立てるようになった。

【ご利益】
地域安全、家内安全、事業成功、諸願成就
蟻通神社 和歌山県田辺市湊
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