平安末期創立の山王社、5月例祭は幕末から続くおかえり祭り
[住所]石川県白山市美川南町ヌ167
[電話]076-278-5355
藤塚神社(ふじつかじんじゃ)は、石川県白山市美川南町にある神社。JR北陸本線の美川駅の西方、取手川河口付近に鎮座する。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建は平安時代末期の寿永年間(1182年-1184年)と伝わる。美川町はその昔、「藤塚」と称し、これが社名の由縁になっている。
山王権現にはじまり藤塚山王などとも呼ばれた。明治維新まで神仏習合であり、石垣塀は寺院形式で珍しくその面影を残している。
昔からの言い伝えでは、市内平加町の安産日吉神社とは雄神、雌神の関係で、毎年春季例祭は、雄神が平加の雌神のもとを訪れたという。
江戸時代後期の天保7年(1837年)、廻船業・紺屋三郎兵衛(竹多氏)より大神輿が寄進された。現在、市の文化財に指定されている。
幕末の安政4年(1857年)、京都仁和寺、いわゆる御室御所より、菊花紋章入り神輿の日覆、守護の鉄棒、正一位日吉神社の社頭額が下賜された。
これにより始まったのが、紋付き袴に白襷姿で行う春季祭礼「おかえり祭り」だという。現在は県の無形民俗文化財に指定されている。
明治元年(1868年)、本吉日吉神社に、さらにすぐ藤塚日吉社に改称した。明治7年(1874年)、現社号に改称し、前田斉泰公御染筆の扁額を賜った。
明治12年(1879年)、県社に列した。御祭神は、大山咋神・大己貴神・天照大神。例祭は5月第3土・日曜日で、先述のおかえり祭り。
1日目の神幸祭では、早朝に美川町の裏鬼門にあたる当社より、青年団に担がれた八面四扉の精巧華麗な神輿が、豪華絢爛な13台の台車に先導され、発つ。
旗手の合図に進軍ラッパを高らかに吹き鳴らし、町中が祭り一色となる。氏子一軒一軒を厄祓いして巡り、夜半表鬼門にあたる御旅所に到着する。
2日目の還幸祭では、夜の帳が降りる頃、神輿はおかえり筋の男衆に担がれ、御旅所を発つ。一番鶏が鳴く頃までには当社に到着する。
お還りに通る町筋は、十町のうち一町のみを通り、それがその年のおかえり筋と呼ばれ、この祭りの名の由来となっている。
氏子区域は市内の美川今町・美川永代町・美川北町・美川神幸町・美川新町・美川末広町・美川中町・美川浜町・美川南町・美川本吉町・美川和波町・若草町。
境内社に、琴平神社(大物主神・事代主神・菅原道真公)、素箋鳴社(素箋鳴尊)がある。授与所の授与品も、お守りをはじめ充実している。
境内の大欅(大ケヤキ)は樹齢450-550年と推定され、当地方では最古のもの。秋には茶一色になり、一葉も残らず枝だけの姿になり、また春には芽吹く。
境内では石蕗(ツワブキ)もある。11月になると、ツワブキの黄色い花が目立つようになる。ツワブキの葉には解毒作用があり乳腺炎にも効能があるという。
【ご利益】
方除・厄除け、開運招福、病気平癒(公式HP)
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[電話]076-278-5355
藤塚神社(ふじつかじんじゃ)は、石川県白山市美川南町にある神社。JR北陸本線の美川駅の西方、取手川河口付近に鎮座する。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建は平安時代末期の寿永年間(1182年-1184年)と伝わる。美川町はその昔、「藤塚」と称し、これが社名の由縁になっている。
山王権現にはじまり藤塚山王などとも呼ばれた。明治維新まで神仏習合であり、石垣塀は寺院形式で珍しくその面影を残している。
昔からの言い伝えでは、市内平加町の安産日吉神社とは雄神、雌神の関係で、毎年春季例祭は、雄神が平加の雌神のもとを訪れたという。
江戸時代後期の天保7年(1837年)、廻船業・紺屋三郎兵衛(竹多氏)より大神輿が寄進された。現在、市の文化財に指定されている。
幕末の安政4年(1857年)、京都仁和寺、いわゆる御室御所より、菊花紋章入り神輿の日覆、守護の鉄棒、正一位日吉神社の社頭額が下賜された。
これにより始まったのが、紋付き袴に白襷姿で行う春季祭礼「おかえり祭り」だという。現在は県の無形民俗文化財に指定されている。
明治元年(1868年)、本吉日吉神社に、さらにすぐ藤塚日吉社に改称した。明治7年(1874年)、現社号に改称し、前田斉泰公御染筆の扁額を賜った。
明治12年(1879年)、県社に列した。御祭神は、大山咋神・大己貴神・天照大神。例祭は5月第3土・日曜日で、先述のおかえり祭り。
1日目の神幸祭では、早朝に美川町の裏鬼門にあたる当社より、青年団に担がれた八面四扉の精巧華麗な神輿が、豪華絢爛な13台の台車に先導され、発つ。
旗手の合図に進軍ラッパを高らかに吹き鳴らし、町中が祭り一色となる。氏子一軒一軒を厄祓いして巡り、夜半表鬼門にあたる御旅所に到着する。
2日目の還幸祭では、夜の帳が降りる頃、神輿はおかえり筋の男衆に担がれ、御旅所を発つ。一番鶏が鳴く頃までには当社に到着する。
お還りに通る町筋は、十町のうち一町のみを通り、それがその年のおかえり筋と呼ばれ、この祭りの名の由来となっている。
氏子区域は市内の美川今町・美川永代町・美川北町・美川神幸町・美川新町・美川末広町・美川中町・美川浜町・美川南町・美川本吉町・美川和波町・若草町。
境内社に、琴平神社(大物主神・事代主神・菅原道真公)、素箋鳴社(素箋鳴尊)がある。授与所の授与品も、お守りをはじめ充実している。
境内の大欅(大ケヤキ)は樹齢450-550年と推定され、当地方では最古のもの。秋には茶一色になり、一葉も残らず枝だけの姿になり、また春には芽吹く。
境内では石蕗(ツワブキ)もある。11月になると、ツワブキの黄色い花が目立つようになる。ツワブキの葉には解毒作用があり乳腺炎にも効能があるという。
【ご利益】
方除・厄除け、開運招福、病気平癒(公式HP)
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