加賀大聖寺藩主の邸内天満天神、庭園や竹涇館、三天神・三社参り
[住所]石川県加賀市大聖寺八間道55
[電話]0761-72-0551
江沼神社(えぬまじんじゃ)は、石川県加賀市大聖寺八間道にある神社。大聖寺川の支流西岸、大聖寺城址のある錦山城公園の東に鎮座する。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代中期の宝永元年(1704年)4月、加賀大聖寺藩3代藩主である前田利直が邸内に菅原道真の霊を祀り、天満天神社と称した。明治になり、廃藩の際に那谷寺境内に遷座。
これより先に祀られた松嶋社は明治6年(1873年)10月、松嶋神社に改称、明治7年(1874年)11月、御祭神を加賀大聖寺藩初代藩主である前田利治公とした。
明治10年(1877年)2月、現社号に改称、同年9月には郷社に昇格した。明治12年(1879年)、先に那谷寺境内に遷座した天満天神社を合祀した。
明治16年(1883年)6月、県社に昇格した。大正8年(1919年)6月8日には有栖川宮妃慰子殿下が参拝した。
境内の庭園は、宝永6年(1709年)、隣接する長流邸とともに作庭されたもの。兼六園の影響を受けた池泉廻遊式武家庭園。
ひさご池や、中島にかかる八ッ橋、石組の間からの湧水などが見所で、11月の紅葉時には多くの市民が散策する。市指定名勝。
大聖寺耳聞山町から移築した14代藩主前田利鬯の国許別邸「竹涇館」や、北前船主の座敷「梅花庵」がある。いずれも、国の登録文化財である。
前田家ゆかりの三天神の一社として入試シーズンには受験生で賑わう。また、三社参りの風習でも知られ、正月は参拝者が大勢訪れる。
前田家ゆかりの三天神のもう二社は不明。また、三社参りについても、当社の他、加賀神明宮が含まれるようだが、詳細は不明。
境内社に稲荷神社などがある。琴柱型灯篭・五重石塔もある。当地出身の作家で、『日本百名山』の著書として有名な深田久弥の文学碑がある。
なお、当社は上木菅原神社、大聖寺荻生町の稲荷神社、大聖寺永町の大原神社、上河崎町の神明神社、河崎上神社、河崎下神社、多知波那神社、黒瀬町・荒木町・橋立町・吉崎町の白山神社を兼務している。
【ご利益】
学業・受験合格、厄災除け、家内安全、商売繁盛
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[電話]0761-72-0551
江沼神社(えぬまじんじゃ)は、石川県加賀市大聖寺八間道にある神社。大聖寺川の支流西岸、大聖寺城址のある錦山城公園の東に鎮座する。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代中期の宝永元年(1704年)4月、加賀大聖寺藩3代藩主である前田利直が邸内に菅原道真の霊を祀り、天満天神社と称した。明治になり、廃藩の際に那谷寺境内に遷座。
これより先に祀られた松嶋社は明治6年(1873年)10月、松嶋神社に改称、明治7年(1874年)11月、御祭神を加賀大聖寺藩初代藩主である前田利治公とした。
明治10年(1877年)2月、現社号に改称、同年9月には郷社に昇格した。明治12年(1879年)、先に那谷寺境内に遷座した天満天神社を合祀した。
明治16年(1883年)6月、県社に昇格した。大正8年(1919年)6月8日には有栖川宮妃慰子殿下が参拝した。
境内の庭園は、宝永6年(1709年)、隣接する長流邸とともに作庭されたもの。兼六園の影響を受けた池泉廻遊式武家庭園。
ひさご池や、中島にかかる八ッ橋、石組の間からの湧水などが見所で、11月の紅葉時には多くの市民が散策する。市指定名勝。
大聖寺耳聞山町から移築した14代藩主前田利鬯の国許別邸「竹涇館」や、北前船主の座敷「梅花庵」がある。いずれも、国の登録文化財である。
前田家ゆかりの三天神の一社として入試シーズンには受験生で賑わう。また、三社参りの風習でも知られ、正月は参拝者が大勢訪れる。
前田家ゆかりの三天神のもう二社は不明。また、三社参りについても、当社の他、加賀神明宮が含まれるようだが、詳細は不明。
境内社に稲荷神社などがある。琴柱型灯篭・五重石塔もある。当地出身の作家で、『日本百名山』の著書として有名な深田久弥の文学碑がある。
なお、当社は上木菅原神社、大聖寺荻生町の稲荷神社、大聖寺永町の大原神社、上河崎町の神明神社、河崎上神社、河崎下神社、多知波那神社、黒瀬町・荒木町・橋立町・吉崎町の白山神社を兼務している。
【ご利益】
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