源頼義の建立、常夜灯、5月例祭では御田植神事と蟇目神事
若宮八幡宮 石川県白山市若宮1-100
[住所]石川県白山市若宮1-100
[電話]076-275-0513

若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)は、石川県白山市若宮にある神社。近代社格では県社。若宮公園に隣接している。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の康平6年(1063年)、鎮守府将軍源頼義の建立と伝わる。頼義が奥州を平定し、石清水八幡宮を相州鎌倉郡由比郷鶴岡の地に勧請。

次いでこの加賀松任の地に国守富樫介に造営を命じ、富樫介の臣だった山上新保介はその命を受けて社殿を建立、新たに武内社・貴船社など7社の境内社を勧請した。

一方で、創祀は承平年間(931年-938年)ともされる。

平安時代末期の治承4年(1180年)8月、源頼朝が社領を寄進し、南北朝時代の康永3年(1344年)11月には足利将軍が社領100石を納めた。

嘉慶2年(1388年)2月、勅使左中将藤原元隆が下向して圭田62束3毛を納め、室町時代の延徳3年(1491年)8月には足利義稙が石鳥居一基と刀一口を寄進した。

康正年間(1455年-1457年)には松任城主の松任修理亮が、安土桃山時代の天正元年(1573年)には鏑木貞宗が社殿を造営、修補した。

慶長16年(1611年)、6年前に家督を継いだ加賀藩2代藩主前田利常(幼名は利光)が年中日供米10石8斗を寄進した。

古来、武門・武将の尊信が篤く、庶民の尊敬も敦厚だったという。社地は由比加新保の森と称えられ、一夜で出来、広さは1里四方だったと伝わる。

現在の境内地は約1万坪で、巨木が林立していたが、昭和36年(1961年)の第二室戸台風で大被害に遭った。

今では野鳥や渡り鳥の休憩の地として、一年中バードウォッチングの人々が訪れる様になっている。

御祭神は、応神天皇。境内社より、綿津見神大山祇神日本武尊豊受比売神・大田神を合祀している。

氏子区域は市内の石同新町・石同町・倉光西2丁目・新田町・末広・辰巳町・殿町・西八ツ矢区・布市・東一番町・東三番町・東新町・東二番町・東八ツ矢区・古城町・南八ツ矢区・八ツ矢新町・八ツ矢町・八日市町・四日市町・若宮。

拝殿に掲載されている「神功皇后渡韓図」、神輿庫にある神輿一基、境内地入口にある「常夜灯」は市文化財に指定されている。

この常夜灯は明治35年(1902年)頃に建てられたもので、天井に灯油ランプを吊るす金具があり、松任の海岸からも見ることができ、灯台の役割も果たしたと伝えられる。

明かりが入る部分の四囲いは「ギヤマン」と称された色ガラスがはめ込まれ、西欧文化を取り込んだ建物となっている。

大正天皇御大礼記念として大正3年(1914年)に約40坪の水田が寄進され、昭和8年(1933ねん)より毎年5月26日に、「御田植神事」が行われている。

これは当社の春季大祭の一環。またこの大祭期間中には、蟇目神事(ひきめしんじ)が行われる。神職らが鬼門の方角に向かって矢を放ち、除災招福を祈願する。

蟇目神事は、鎌倉時代に二つの太陽が現れ、加賀国松任の弓の名手山上新保介が将軍の命を受け、偽物を射落としたという言い伝えに由来する。

境内社は、平安時代勧請の時のもの含め、現在は稲荷社・高良社・春日社・子安社・舟越社(大国主神小名彦名神)・白峯社(崇徳天皇)・諏訪社・大御社・菅原社がある。

このうち、白峰神社は、江戸時代後期の文政年間(1818年-1829年)に番匠屋吉兵衛の創立によると伝えられる。また船越社は、鎌倉時代の文永8年(1271年)11月の創立。

また、加賀千代女像がある。江戸時代中期に活躍した女流俳諧師。72歳の時に与謝蕪村の『玉藻集』序文を書く。安永4年(1775年)に73歳で没。

なお、当社は松本町の松本神社、笠間町の笠間神社下柏野町上柏野町の楢本神社、平加町の安産日吉神社などを兼務している。

【ご利益】
厄災除け、方除け、交通安全、五穀豊穣
若宮八幡宮 石川県白山市若宮
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