天平期に大友家持が創立、戦国期に焼亡・再建、明治になり県社に
[住所]石川県白山市成町1
[電話]076-274-1062 - 安田春日神社
出城八幡宮(でじろはちまんぐう)は、石川県白山市成町にある神社。近代社格では県社。出城八幡神社とも。現在は安田春日神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
奈良時代の天平年間(729年-749年)、大友家持が北国下向の際、神宝を奉じ当地に社殿を建立し、これを納めたと伝える。
戦国時代の長享2年(1488年)、柴田勝家によって焼亡した、というが、勝家の生年は1522年、没年は1583年。
長享2年は、加賀国守護富樫政親が一向一揆に攻められ、高尾城(金沢市)にて自刃する動乱の時代。この際の混乱による焼亡か。
あるいは、勝家による焼亡が正しければ、安土桃山時代の天正4年(1576年)から、天正5年(1577年)の手取川の戦いを経て、天正8年(1580年)までのこととなる。
ともかく、以来当社は廃絶の姿だったという。文禄3年(1595年)、村民によって社殿が再建され、再興した。
御祭神は応神天皇。明治2年(1869年)、現社地に遷座し、明治31年(1898年)2月15日、県社に昇格した。明治39年(1906年)12月29日、神饌幣帛料供進社に指定された。
境内社に天神社(菅原道真)がある。古文書「成村村御印」1通が伝わり、市の有形文化財に指定されている。また、石川郡のみ現存する加賀国神名帳を所蔵する。
近くには出城公園がある。また、JR北陸本線を越えた北側に、松任城の出城として鏑木頼信が使用していたと伝わる「出城」があり、小公園に「出城之址」の碑が建っている。
【ご利益】
厄災除け、武運長久・勝運、学業・受験合格

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[電話]076-274-1062 - 安田春日神社
出城八幡宮(でじろはちまんぐう)は、石川県白山市成町にある神社。近代社格では県社。出城八幡神社とも。現在は安田春日神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
奈良時代の天平年間(729年-749年)、大友家持が北国下向の際、神宝を奉じ当地に社殿を建立し、これを納めたと伝える。
戦国時代の長享2年(1488年)、柴田勝家によって焼亡した、というが、勝家の生年は1522年、没年は1583年。
長享2年は、加賀国守護富樫政親が一向一揆に攻められ、高尾城(金沢市)にて自刃する動乱の時代。この際の混乱による焼亡か。
あるいは、勝家による焼亡が正しければ、安土桃山時代の天正4年(1576年)から、天正5年(1577年)の手取川の戦いを経て、天正8年(1580年)までのこととなる。
ともかく、以来当社は廃絶の姿だったという。文禄3年(1595年)、村民によって社殿が再建され、再興した。
御祭神は応神天皇。明治2年(1869年)、現社地に遷座し、明治31年(1898年)2月15日、県社に昇格した。明治39年(1906年)12月29日、神饌幣帛料供進社に指定された。
境内社に天神社(菅原道真)がある。古文書「成村村御印」1通が伝わり、市の有形文化財に指定されている。また、石川郡のみ現存する加賀国神名帳を所蔵する。
近くには出城公園がある。また、JR北陸本線を越えた北側に、松任城の出城として鏑木頼信が使用していたと伝わる「出城」があり、小公園に「出城之址」の碑が建っている。
【ご利益】
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