社名は少彦名命と大己貴命が国造りで宍道湖が「荒亡」で転じる
[住所]島根県松江市外中原町38
[電話]0852-21-7219
阿羅波比神社(あらわいじんじゃ)は、島根県松江市外中原町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、境外社の愛宕神社と合算の御朱印を頂ける。
創祀年代は不詳。神紋は二重亀甲に大一。少彦名命と大己貴命が国造りしている際、宍道湖に至り、荒亡とし草木が茂っていた。
この荒亡が後に荒隅となり、洗合となって、「あらわい」に転じ、社号の字に充てられた。『出雲国風土記』に「阿羅波比社」とあるとされるが、不詳。
江戸時代以前は西の天倫寺山、現在の洗合城跡にあったとされ、毛利氏が本陣をこの山に置くにあわせて、現在の外中原に移されたといわれている。
松江城西側の旧市街を総じて中原地区といい、四十間掘川より西は外中原と呼ばれる。
江戸時代中期の『雲陽誌』では、当社は「照牀明神・五社明神」として記載されている。境内の石碑に「縣社」とあるため、近代には県社に列したか。
御祭神は、少彦名命・大己貴命・天照大御神・高御産巣日命・素盞鳴命。八幡宮(仲哀天皇・神功皇后・応神天皇)と恵比須神社(事代主命)を配祀する。
境内社として、松尾神社・番匠祖神社・中原稲荷神社・恵比寿社・和多津海神社があり、荒神様も祀られている。
境外社に、愛宕神社がある。この愛宕神社は『延喜式神名帳』にある「意多伎神社(出雲国・意宇郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
式内社「意多伎神社」は、『出雲国風土記』の「意陀支社」と同一とされ、この愛宕神社はむしろ、風土記所載「意陀支社」の候補で、自動的に式内論社になっているようだ。
『延喜式神名帳』では、式内社「意多伎神社」の他、その次に「同社坐御譯神社」が記載されている。
風土記所載「意陀支社」の他の候補や式内論社に、安来市の式内同名神社があり、「同社坐御譯神社」も合祀している。
【ご利益】
病気平癒、縁結び、開運招福、厄災除け

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[電話]0852-21-7219
阿羅波比神社(あらわいじんじゃ)は、島根県松江市外中原町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、境外社の愛宕神社と合算の御朱印を頂ける。
創祀年代は不詳。神紋は二重亀甲に大一。少彦名命と大己貴命が国造りしている際、宍道湖に至り、荒亡とし草木が茂っていた。
この荒亡が後に荒隅となり、洗合となって、「あらわい」に転じ、社号の字に充てられた。『出雲国風土記』に「阿羅波比社」とあるとされるが、不詳。
江戸時代以前は西の天倫寺山、現在の洗合城跡にあったとされ、毛利氏が本陣をこの山に置くにあわせて、現在の外中原に移されたといわれている。
松江城西側の旧市街を総じて中原地区といい、四十間掘川より西は外中原と呼ばれる。
江戸時代中期の『雲陽誌』では、当社は「照牀明神・五社明神」として記載されている。境内の石碑に「縣社」とあるため、近代には県社に列したか。
御祭神は、少彦名命・大己貴命・天照大御神・高御産巣日命・素盞鳴命。八幡宮(仲哀天皇・神功皇后・応神天皇)と恵比須神社(事代主命)を配祀する。
境内社として、松尾神社・番匠祖神社・中原稲荷神社・恵比寿社・和多津海神社があり、荒神様も祀られている。
境外社に、愛宕神社がある。この愛宕神社は『延喜式神名帳』にある「意多伎神社(出雲国・意宇郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
式内社「意多伎神社」は、『出雲国風土記』の「意陀支社」と同一とされ、この愛宕神社はむしろ、風土記所載「意陀支社」の候補で、自動的に式内論社になっているようだ。
『延喜式神名帳』では、式内社「意多伎神社」の他、その次に「同社坐御譯神社」が記載されている。
風土記所載「意陀支社」の他の候補や式内論社に、安来市の式内同名神社があり、「同社坐御譯神社」も合祀している。
【ご利益】
病気平癒、縁結び、開運招福、厄災除け

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