奈良期の創建、義経の腰掛岩、8月佐伯郷灯籠祭、御香水
[住所]京都府亀岡市薭田野町佐伯出山地46
[電話]-
若宮神社(わかみやじんじゃ)は、京都府亀岡市薭田野町佐伯出山地にある神社。御朱印の有無は不明。
奈良時代の神護景雲3年(769年)の創建と伝わる。創建当時は多気神社として祀られ、その後繁栄と衰退を繰り返した。
南北朝時代の嘉慶元年(1387年)に再建された時、現社号に改称された。社頭にある泉の水は「若宮さんの御香水」と呼ばれ有名。
近年、境内の脇で平安時代末期から鎌倉時代末期にかけての土器が大量に見つかった。土器は当社の祭礼で使用されたものだと考えられている。
御祭神は大鷦鷯命。昔より安産の守護神とされ、八幡信仰などで、若宮八幡宮と呼ばれたこともあるという。
本殿は、再建当時の流れ造りで、内陣天井裏の桁に、約600年前の龍が描かれているという。左右の小社は地主彌勒尊と六孫王経基公。
例祭は8月と10月。8月は14日に佐伯郷灯籠祭が行われる。灯籠祭斎行の稗田野神社・御霊神社・河阿神社とともに佐伯郷四社の一社である。
佐伯灯籠は、市内に伝わる、祭礼行列に加わる台灯籠と呼ばれる移動式の舞台で、三味線音楽の一つである義太夫節にあわせて演じる人形浄瑠璃。
特有の操作方法によって人形浄瑠璃を演じるもので、その操作法や上演舞台の構造などが特筆に値する。「佐伯灯籠」として、国の重要無形文化財に指定されている。
当社真下を走る旧篠山街道には、平安時代末期の寿永3年(1184年)、京から丹波を経て、一の谷へ向かう源義経が最初に休んだとされる「義経の腰掛岩」がある。
義経は当社に祈願、その際、寒風が絵馬を叩き、カチカチと音がし、つわものどもが誰言うことなく、勝ち勝ちと神のお告げと勇躍一の谷に進んだと伝えられている。
【ご利益】
安産、武運長久・勝運

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・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
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若宮神社(わかみやじんじゃ)は、京都府亀岡市薭田野町佐伯出山地にある神社。御朱印の有無は不明。
奈良時代の神護景雲3年(769年)の創建と伝わる。創建当時は多気神社として祀られ、その後繁栄と衰退を繰り返した。
南北朝時代の嘉慶元年(1387年)に再建された時、現社号に改称された。社頭にある泉の水は「若宮さんの御香水」と呼ばれ有名。
近年、境内の脇で平安時代末期から鎌倉時代末期にかけての土器が大量に見つかった。土器は当社の祭礼で使用されたものだと考えられている。
御祭神は大鷦鷯命。昔より安産の守護神とされ、八幡信仰などで、若宮八幡宮と呼ばれたこともあるという。
本殿は、再建当時の流れ造りで、内陣天井裏の桁に、約600年前の龍が描かれているという。左右の小社は地主彌勒尊と六孫王経基公。
例祭は8月と10月。8月は14日に佐伯郷灯籠祭が行われる。灯籠祭斎行の稗田野神社・御霊神社・河阿神社とともに佐伯郷四社の一社である。
佐伯灯籠は、市内に伝わる、祭礼行列に加わる台灯籠と呼ばれる移動式の舞台で、三味線音楽の一つである義太夫節にあわせて演じる人形浄瑠璃。
特有の操作方法によって人形浄瑠璃を演じるもので、その操作法や上演舞台の構造などが特筆に値する。「佐伯灯籠」として、国の重要無形文化財に指定されている。
当社真下を走る旧篠山街道には、平安時代末期の寿永3年(1184年)、京から丹波を経て、一の谷へ向かう源義経が最初に休んだとされる「義経の腰掛岩」がある。
義経は当社に祈願、その際、寒風が絵馬を叩き、カチカチと音がし、つわものどもが誰言うことなく、勝ち勝ちと神のお告げと勇躍一の谷に進んだと伝えられている。
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