「所造天下大神之御財」景初3年・三角縁神獣鏡の神原神社古墳
[住所]島根県雲南市加茂町神原1436
[電話]0854-49-7413
神原神社(かんばらじんじゃ)は、島根県雲南市加茂町神原にある神社。御朱印の有無は不明。
『出雲国風土記』にある「神原社」、『延喜式神名帳』にある「神原神社(出雲国・大原郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。往古は今の赤川の対岸、才明寺の東南に鎮座したとも。『出雲国風土記』大原郡条の神原郷の項に「所造天下大神之御財 積置給處也」とある。
その後、古墳の上に遷座。この古墳は方墳で、復元した場合の規模は29メートル×25メートル、高さは5メートル程と推定される。県内最古に属する前期古墳である。
昭和47年(1972年)の赤川(斐伊川水系)の改修工事で、社地が新堤防域に組み込まれるため、当社は南西に50メートルほど遷移することになった。
その際に古墳の発掘調査が行われ、竪穴式石室からの出土品の中に魏の景初3年(239年)銘が鋳出された三角縁神獣鏡があった。
景初3年には、邪馬台国の女王卑弥呼が、魏の明帝に使者を派遣し、 明帝から銅鏡100枚を賜ったと「魏志倭人伝」に記載がある。
他にも、素環頭太刀1、木装太刀1、剣1、槍1、鉄鏃36、鍬1、鎌1、斧1や、広口壺2、中形壺2、小形壺1などが出土した。
これらの出土品は一括して国の重要文化財に指定されている。出土品は国(文化庁)所有で、島根県立古代出雲歴史博物館に保管されている。
石室は移築された社殿の東側に復元されていて自由に見学できる。『出雲国風土記』所載の「所造天下大神之御財」か。いわゆる神原神社古墳であり、こちらの方が有名。
『日本書紀』垂仁天皇紀にある、第11代垂仁天皇26年秋8月、物部十千根大連に勅して、出雲国に派遣、同国の神宝を検校させた、その神宝は当社のものともされる。
江戸時代初期の慶長16年(1611年)の棟札には「神原松井大明神」、『神原神社縁起』では「神原神社松井大明神」「松井神寶大神宮」とある。
江戸時代中期の宝永5年(1708年)のこの『神原神社縁起』では、御祭神は磐筒男命・磐筒女命となっている。現在は、大国主神、磐筒男命、磐筒女命を祀る。
享保2年(1717年)に出された『雲陽誌』には、「神寶明神」とある。かつては、屋裏郷・屋代郷・神原郷の3ヶ郷の惣氏神社として崇敬されたと伝わる。
明治4年(1871年)12月、村社に列した。明治44年(1911年)9月20日、神饌幣帛料供進社に指定された。
例祭は11月9日。県指定無形民俗文化財の獅子舞が奉納される。神在祭の期間には神事が行われる。8月下旬には、神原神社古墳慰霊祭があり、「松明行列」やイベントが行われる。
【ご利益】
縁結び、病気平癒

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・島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧
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神原神社(かんばらじんじゃ)は、島根県雲南市加茂町神原にある神社。御朱印の有無は不明。
『出雲国風土記』にある「神原社」、『延喜式神名帳』にある「神原神社(出雲国・大原郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。往古は今の赤川の対岸、才明寺の東南に鎮座したとも。『出雲国風土記』大原郡条の神原郷の項に「所造天下大神之御財 積置給處也」とある。
その後、古墳の上に遷座。この古墳は方墳で、復元した場合の規模は29メートル×25メートル、高さは5メートル程と推定される。県内最古に属する前期古墳である。
昭和47年(1972年)の赤川(斐伊川水系)の改修工事で、社地が新堤防域に組み込まれるため、当社は南西に50メートルほど遷移することになった。
その際に古墳の発掘調査が行われ、竪穴式石室からの出土品の中に魏の景初3年(239年)銘が鋳出された三角縁神獣鏡があった。
景初3年には、邪馬台国の女王卑弥呼が、魏の明帝に使者を派遣し、 明帝から銅鏡100枚を賜ったと「魏志倭人伝」に記載がある。
他にも、素環頭太刀1、木装太刀1、剣1、槍1、鉄鏃36、鍬1、鎌1、斧1や、広口壺2、中形壺2、小形壺1などが出土した。
これらの出土品は一括して国の重要文化財に指定されている。出土品は国(文化庁)所有で、島根県立古代出雲歴史博物館に保管されている。
石室は移築された社殿の東側に復元されていて自由に見学できる。『出雲国風土記』所載の「所造天下大神之御財」か。いわゆる神原神社古墳であり、こちらの方が有名。
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江戸時代初期の慶長16年(1611年)の棟札には「神原松井大明神」、『神原神社縁起』では「神原神社松井大明神」「松井神寶大神宮」とある。
江戸時代中期の宝永5年(1708年)のこの『神原神社縁起』では、御祭神は磐筒男命・磐筒女命となっている。現在は、大国主神、磐筒男命、磐筒女命を祀る。
享保2年(1717年)に出された『雲陽誌』には、「神寶明神」とある。かつては、屋裏郷・屋代郷・神原郷の3ヶ郷の惣氏神社として崇敬されたと伝わる。
明治4年(1871年)12月、村社に列した。明治44年(1911年)9月20日、神饌幣帛料供進社に指定された。
例祭は11月9日。県指定無形民俗文化財の獅子舞が奉納される。神在祭の期間には神事が行われる。8月下旬には、神原神社古墳慰霊祭があり、「松明行列」やイベントが行われる。
【ご利益】
縁結び、病気平癒

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