風土記記載の所造天下大神の御門と神戸、後背には松本古墳
三屋神社 島根県雲南市三刀屋町給下865
[住所]島根県雲南市三刀屋町給下865
[電話]0854-45-3051

三屋神社(みとやじんじゃ)は、島根県雲南市三刀屋町給下にある神社。『出雲国風土記』に「伊我山」とある峯寺山の山腹に鎮座する。御朱印の有無は不明。

『出雲国風土記』にある「御門屋社(みとやのやしろ)」、『延喜式神名帳』にある「三屋神社(出雲国・飯石郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。『出雲国風土記』には下記のようにあり、所造天下大神がここに宮居を定め、国土経営の端緒を開いた地とされる。
三屋郷。郡家の東北二十四里なり。所造天下大神の御門、すなわち此の処にあり。故、三刀矢と云う。(神亀3年(726年)に、字を三屋と改む。)すなわち正倉(みやけ)あり
出雲国造の祖先の出雲臣や神門臣などが当地に大神の御陵を営み、また社を創建して、その神地を定め、神戸を置いて大神の宮の御料を調達することになった、という。

御門屋は、大神の宮垣の御門とその神戸とにちなんだもの。出雲国内において、大神の神地と神戸が『出雲国風土記』撰上当時に置かれた場所は当地のみ。

また、神の御門と神戸とを社号とした神社は全国でも当社唯一とされ、当地が出雲文化の発祥の地である、ともされる。

御門屋から三刀矢となり、三屋となって、現社号として定着した。「みとや」と読むが、上述から派生して、「みやけ」と読ませる場合もある。

当社背後の高丸山は国土経営の国見山ともされ、一群の古墳があり、多くの副葬品が出土している。社伝によれば、古代はこの松本古墳と呼ばれる古墳の上に社殿があった。

郡内の筆頭神社として、一の宮(一宮)、一宮大明神とも称された。江戸時代中期の明和9年(1772年)にも造営の記録が残る。明治5年(1872年)、郷社に列した。

御祭神は大己貴命。相殿に素盞嗚尊稲田姫命脚摩乳命・手摩乳命を祀る。例祭は10月19日。祈年祭が4月15日、夏祭が7月19日、新嘗祭が12月2日。

社殿は、大社造りの本殿、入母屋肘木造り向拝縋り破風造りの拝殿、隋神門などがあり、これら主要建造物は、江戸時代前期の貞享2年(1685年)の再建だという。

境内社に、祇園社・稲荷神社がある。宝物として、先の貞享2年の他、延喜2年(902年)の棟札、古文書、稲田姫の手鏡(笑鏡)、三十六歌仙(額)が伝わる。

境内地は1846平方メートル。

【ご利益】
平穏安寧、病気平癒、縁結び
三屋神社 島根県雲南市三刀屋町給下
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