『神道集』6巻「第三十四 上野国児持山之事」に記載された神々
吾妻七社明神とは? - 『神道集』6巻「第三十四 上野国児持山之事」に記載された神々
吾妻七社明神(あがつまななしゃみょうじん)とは、児持七社、吾妻七社などとも呼ばれ、『神道集』6巻「第三十四 上野国児持山之事」に記載された、現在の群馬県吾妻地方に存在する七つの神社の総称である。

ここでは吾妻七社明神の他、この説話で登場する各明神を比定して、一覧表示した。「上野国児持山之事」の具体的な内容はこちら

簡単に言ってしまえば、子授かりの話、ようやく産まれた姫の恋愛・結婚・出産、夫の無実の罪による投獄、姫の旅、それに対して、日本を代表する神社が侍となって登場、その助力を得ながら夫を救出する、というもの。

『神道集』そのものが、東国の説話に偏っているとの指摘はあるし、この「上野国児持山之事」は「上野国那波八郎大明神事」とともに、その最たるもの。

ただ、『神道集』とはいえ、全国的に普遍的な事象を扱っていることが過半ではあって、「上野国児持山之事」はその中でも決してメジャーな話、メジャーな神社が主役ではない。

にもかかわらず、七社が紹介され、他の、諏訪・熱田・宇都宮などメジャーは除く明神が登場するこの説話が取り上げられた背景には興味深いものがある。

実際、「上野国児持山之事」は物語としても、非常に面白く、引き込まされるものがあるのは確かだ。

ところで、説話の中に登場する明神で一つ特定できないものがある。

阿野明神である。

伊勢の阿野津の地頭から話が始まるのだから、安乃津とも表記される伊勢国安濃郡の安濃津、つまり現在の三重県津市あたりを想定したいが、該当するような古社はない。

これは、元伊勢草蔭阿野国」と同じような不詳具合であり、やはり興味深い。

吾妻七社明神

児持山大明神 子持神社

子持神社 群馬県渋川市中郷
[特徴]児持御前
[本地]如意輪観音
[住所]群馬県渋川市中郷2910
[電話]0279-53-3605

半手木大明神 中山神社

中山神社 群馬県吾妻郡高山村中山
[特徴]乳母子の侍従局
[本地]文殊菩薩
[住所]群馬県吾妻郡高山村中山2337
[電話]-

鳥頭大明神 鳥頭神社(矢倉)

鳥頭神社 群馬県吾妻郡東吾妻町矢倉
[特徴]若君
[本地]聖観音
[住所]群馬県吾妻郡東吾妻町矢倉899
[電話]-

和理大明神 吾妻神社(中之条町)

吾妻神社 群馬県吾妻郡中之条町横尾
[特徴]加若
[本地]十一面観音
[住所]群馬県吾妻郡中之条町横尾1354
[電話]0279-75-1498

山代大明神 山代神社

山代神社 群馬県吾妻郡高山村尻高
[特徴]藤原成次
[本地]十一面観音
[住所]吾妻神社に合祀
[電話]-

駒形明神 駒形神社

駒形神社 群馬県吾妻郡中之条町青山
[特徴]阿野津から尾張熱田まで乗せてくれた馬
[本地]馬頭観音
[住所]伊勢町伊勢宮に合祀
[電話]-

白専馬大明神 白鳥神社

白鳥神社 群馬県吾妻郡中之条町市城
[特徴]阿野津から尾張熱田まで馬に乗せてくれた舎人
[本地]十一面観音
[住所]群馬県吾妻郡中之条町市城861
[電話]-

その他同説話に出てくる神社

児守明神 許母利神社

許母利神社 三重県伊勢市二見町
[特徴]最初に子宝祈願した神
[住所]三重県伊勢市二見町松下字尾谷1407-5
[電話]-

津守大明神 屋乃波比伎神

屋乃波比伎神 三重県伊勢市宇治館町
[特徴]阿野権守夫妻
[住所]三重県伊勢市宇治館町1 内宮御正宮内
[電話]-

鈴鹿大明神 片山神社(亀山市)

片山神社 三重県亀山市関町坂下
[特徴]加若殿の父母
[住所]三重県亀山市関町坂下624
[電話]-

鳥居明神 成海神社

成海神社 愛知県名古屋市緑区鳴海町乙子山
[特徴]尾張国熱田で産所を貸してくれた宿の女房
[住所]愛知県名古屋市緑区鳴海町乙子山85
[電話]052-891-2830

阿野明神 不詳

不詳 
[特徴]児持御前の継母
[住所]-
[電話]-

諏訪大明神 諏訪大社

諏訪大社 長野県諏訪地方
[特徴]侍1
[住所]長野県諏訪市中洲宮山1
[電話]0266-52-1919

熱田大明神 熱田神宮

熱田神宮 愛知県名古屋市熱田区
[特徴]侍2
[住所]愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
[電話]052-671-4151

宇都宮大明神 二荒山神社

二荒山神社 栃木県宇都宮市馬場通り
[特徴]侍3
[住所]栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1
[電話]028-622-5271

室の八島 大神神社

大神神社 栃木県栃木市惣社町
[特徴]加若殿が流された地
[住所]栃木県栃木市惣社町477
[電話]0282-27-6126

「上野国児持山之事」現代語要約

第40代天武天皇の御代、伊勢国度会郡から荒人神として出現、上野国群馬郡白井の神となったとある。

伊勢の阿野津の地頭・阿野権守保明夫婦には子ができず、伊勢大神宮に祈願したところ、児守明神にお願いすると良いという指示があった。

そこで、7日間の参籠の後、鏡のように美しい姫を得た。父母は大喜びして児持御前と名付け大事に育てていたが、母が亡くなった。

後に父・保明は伊賀の国鈴鹿郡の地頭・加若大夫和利の姫君と再婚。成長した児持御前は、継母の弟である加若次郎和理と恋仲になり結ばれる。

若夫婦で伊勢大神宮へ参詣した折、美しい児持御前に横恋慕した伊勢国司・在間中将基成は夫の和理に謀反の罪を着せ、捕えて下野国の室の八島へ幽閉した。

継母は児持御前を甥にあたる上野国の目代である成次のもとへ送り出す。児持御前は、上野へ向かう途中、熱田神宮の側の小さな家に世話になり、そこで若君を産んだ。

東山道の不破の関で一人の侍と出会い、事情を聞いた侍は旅の伴となる。また、木曽でもう一人の侍も伴となって無事上野国の成次の家に到着した。

下野国へ、和理の様子を見に行く成次に二人の侍も付き添い、そこで、二人の侍は神通力を発揮して和理を救出し、宇都宮へ逃げた。

宇都宮の河原崎で別の侍が出てきて、二人の侍と相談し、成次、和理をともなって無事上野国に帰りついた。

不思議に思った和理は、侍たちに素性を訪ねると、三人は熱田大明神、諏訪大明神、宇都宮大明神であると告げた。

児持御前に神道の法を授け、児持御前は児持大明神となった。また、夫・和理や成次、若君や旅の途次に世話になった人々にも法を授け、それぞれ神となった。

『上毛国風土記』には、児持山七社として子持山周辺の神々「半牛木・烏頭・和利・笆生・白唐馬・駒形・山代」の名が記されている。以下抜粋。

・児持御前は白井村の武部山に神として顕れた
・乳母子の侍従局は半手木鎮守と成った
・若君は岩下の鎮守と成り、突東宮と云う。
・加若殿は見付山の峠に和理大明神として顕れた
・藤原成次も神道の法を授かり、尻高の山代大明神と成った
・阿野津から尾張熱田まで馬に乗せてくれた人も神道の法を授かり、馬は岩尾山の駒形、舎人は今至の白専馬大明神と成った

さらに、児持御前の父と継母にも神道の法が授けられ、伊勢大神宮荒垣内の津守大明神になり、継母と和理の父母は伊賀国の鈴鹿明神となった。

また、尾張国熱田で産所を貸してくれた宿の女房も神道の法を授かり、鳴海の浦の鳥居明神となり、児持御前の継母は阿野明神として顕れたという。

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