舒明朝の創立、箕田御厨の地、福住大明神とも、下箕田獅子舞
[住所]三重県鈴鹿市下箕田町865
[電話]059-385-0734
久々志弥神社(くくしみじんじゃ、久久志弥神社)は、三重県鈴鹿市下箕田町にある神社。大木中学校の南東、県道6号の東に接して鎮座する。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「久々志彌神社(伊勢国・河曲郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
第34代舒明天皇己丑元年(629年)の創立と伝わる。この地は箕田御厨の地だが、御祭神は特段御厨を思わせるものではない。主祭神は菊理媛神。
安土桃山時代の天正8年(1580年)、当時の領主だった織田信孝が社殿を造営した。江戸時代前期の正保4年(1647年)には藤堂高次が造営した。
江戸期には「福住大明神」と称していたという。明治6年(1873年)、村社に列し、明治39年(1906年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
例祭は10月1日。下箕田獅子舞が伝わる。県の無形民俗文化財に指定され、北勢・中勢地区の多くの獅子舞の源流の一つ。
近代の合祀だろうか、当社には下記の多くの神々が合祀されている。
伊邪那岐神・事解之男神・大己貴命・稚産霊神・豊宇賀能売命・保食神・国之水分神・品陀和気命・天児屋根命・天照皇大神・少名毘古那神・大山咋神・木花佐久夜毘売神・猿田彦神・大山津見神・須佐之男命・石凝姥命
なお、当社の飛地境内社が市内林崎町大木輪という地にあるという。大塚神社だろうか。この飛地境内社が、式内社「大木神社」の論社とされる場合がある。
式内社「大木神社」の論社は他に、石薬師町の式内同名神社、南長太栄町の須伎神社に合祀されたもの、北長太旭町の飯野神社に合祀されたものがある。
【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、無病息災
【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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久々志弥神社(くくしみじんじゃ、久久志弥神社)は、三重県鈴鹿市下箕田町にある神社。大木中学校の南東、県道6号の東に接して鎮座する。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「久々志彌神社(伊勢国・河曲郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
第34代舒明天皇己丑元年(629年)の創立と伝わる。この地は箕田御厨の地だが、御祭神は特段御厨を思わせるものではない。主祭神は菊理媛神。
安土桃山時代の天正8年(1580年)、当時の領主だった織田信孝が社殿を造営した。江戸時代前期の正保4年(1647年)には藤堂高次が造営した。
江戸期には「福住大明神」と称していたという。明治6年(1873年)、村社に列し、明治39年(1906年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
例祭は10月1日。下箕田獅子舞が伝わる。県の無形民俗文化財に指定され、北勢・中勢地区の多くの獅子舞の源流の一つ。
近代の合祀だろうか、当社には下記の多くの神々が合祀されている。
伊邪那岐神・事解之男神・大己貴命・稚産霊神・豊宇賀能売命・保食神・国之水分神・品陀和気命・天児屋根命・天照皇大神・少名毘古那神・大山咋神・木花佐久夜毘売神・猿田彦神・大山津見神・須佐之男命・石凝姥命
なお、当社の飛地境内社が市内林崎町大木輪という地にあるという。大塚神社だろうか。この飛地境内社が、式内社「大木神社」の論社とされる場合がある。
式内社「大木神社」の論社は他に、石薬師町の式内同名神社、南長太栄町の須伎神社に合祀されたもの、北長太旭町の飯野神社に合祀されたものがある。
【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、無病息災
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