戦国期に式内を合祀した式内、信長兵火生き抜いた大クス
飯野神社 三重県鈴鹿市三日市2-27-1
[住所]三重県鈴鹿市三日市2-27-1
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飯野神社(いいのじんじゃ)は、三重県鈴鹿市三日市にある神社。『延喜式神名帳』にある「飯野神社(伊勢国・河曲郡)」に比定される式内社(小社)の論社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創祀年代は不詳。式内社とすれば、平安時代前期には存在していた。他の論社に、市内北長太旭町の当社および式内同名神社、神戸石橋町の神舘飯野高市本多神社に合祀のものがある。

社伝によれば、境内にはかつて「神宮并ニ七堂」があり、神戸城主神戸蔵人友盛が戦国時代の弘治元年(1555年)に社殿を造営した。

その際、社地より南約8町、高市森と呼ばれる地に鎮座していた高市神社を遷して合殿としたという。この高市神社もやはり式内論社で、他の論社に先の神舘飯野高市本多神社がある。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、織田信長の伊勢侵入による兵火にかかり焼亡したと伝えられる。

ただし、この際燃え残ったものが、2本の楠木で、その当時の幹周は1丈6尺(約4.8メートル)と1丈5尺(約4.5メートル)だったとの記録が残っている。

このクスは現存しており、現在までに、手前の楠が幹周6.3メートル、奥の楠が幹周5.6メートルで、樹高はいずれも25メートルまで成長している。

江戸時代に入り、その前期の寛永14年(1637年)、城主本多下総守より「祢宣屋敷地井ニ寺四ケ院屋敷地」を拝領した。

年代不明の古札に「飯野神宮牟山大明神」と記され、『亀城兎園記』には「六山大明神」とあることから、牟山大明神・六山大明神と呼ばれていたようである。

明治39年(1906年)の明細帳によれば、当時は飯野高市両神社と称しており、同じ年に神饌幣帛料供進社に指定された。

明治41年(1908年)に村社2社、無格社5社、明治42年(1909年)に村社1社、無格社1社を合祀。大正13年(1924年)、現社名に改称した。

昭和28年(1953年)、愛宕神社と忍山神社を分祀した。当社の御祭神は、主祭神が豊宇気毘売命伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)と同神。

他に、高御産巣日神正哉吾勝々速日天之忍穂耳命大山津見神少名毘古那神天照大御神火之迦具土神保食神須佐之男神伊邪那美神を配・合祀している。

例祭は、10月第3日曜日で秋祭。4月第1日曜日には春祭が、2月第3日曜日には祈年祭が、11月23日には新嘗祭が行われる。

現在の社殿は、平成5年(1993年)、氏子をあげての篤志奉賽によって造営され、平成15年(2003年)には授与所・大広間の施設も新しく造営された。

社殿改築の際には、本殿下より須恵器・土師器などが出土し、当社の創祀の古さを示す証拠発見となった。

【ご利益】
家内安全、商売繁盛、火防、子孫繁栄(公式HP
飯野神社 三重県鈴鹿市三日市
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