奈良天平年間以前の創祀、その後不詳も明治期に式内認定
[住所]三重県鈴鹿市稲生町238
[電話]059-386-4852
加和良神社(かわらじんじゃ)は、三重県鈴鹿市稲生町にある神社。鈴鹿市水道局の南西200メートルの街中に鎮座する。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「加和良神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。奈良時代の天平年間(729年-749年)の『大安寺資料帳』には「高良社」と見え、すでにこの頃には祀られていたと思われる。
そのため、天平19年(747年)以前の創祀とも。ただその後、古い記録はほとんど浬滅し、その後の変遷をよく分からな。江戸時代には社名も失われていたという。
江戸時代、奄芸郡塩屋村字高良の地に鎮座する「高良社」と称する祠が、加和良社の訛傳して遺存したものとされた。
明治になり、村社に列し、明治8年(1875年)には式内認定され、明治39年(1906年)12月、神饌幣帛料供進社に指定された。
明治41年(1908年)11月に須賀神社を、大正3年(1914年)2月に八幡社を、大正5年(1916年)2月に伊達神社を合祀した。
御祭神は、主祭神が木花之咲耶姫命。武内宿禰命・高良玉垂命を配祀し、品陀和気命・須佐之男命・八衢比古命・八衢比売命を合祀する。
大正11年(1922年)7月21日、河原の南方より大字稲生字京ノ山の現在地に遷座し、今に至っている。例祭は10月16日。氏子地域は稲生塩屋。
なお、市内三宅町の三宅神社が以前までに「加和良神社」と呼ばれていたことがあったため、式内「加和良神社」の参考社とされるが、有力視はされていない。
また、『延喜式神名帳』には丹波国氷上郡の式内社としても、同名の神社があり、現在の兵庫県丹波市氷上町に当社と同名の神社が鎮座する。
【ご利益】
安産、子宝、子育て、厄災除け

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・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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加和良神社(かわらじんじゃ)は、三重県鈴鹿市稲生町にある神社。鈴鹿市水道局の南西200メートルの街中に鎮座する。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「加和良神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。奈良時代の天平年間(729年-749年)の『大安寺資料帳』には「高良社」と見え、すでにこの頃には祀られていたと思われる。
そのため、天平19年(747年)以前の創祀とも。ただその後、古い記録はほとんど浬滅し、その後の変遷をよく分からな。江戸時代には社名も失われていたという。
江戸時代、奄芸郡塩屋村字高良の地に鎮座する「高良社」と称する祠が、加和良社の訛傳して遺存したものとされた。
明治になり、村社に列し、明治8年(1875年)には式内認定され、明治39年(1906年)12月、神饌幣帛料供進社に指定された。
明治41年(1908年)11月に須賀神社を、大正3年(1914年)2月に八幡社を、大正5年(1916年)2月に伊達神社を合祀した。
御祭神は、主祭神が木花之咲耶姫命。武内宿禰命・高良玉垂命を配祀し、品陀和気命・須佐之男命・八衢比古命・八衢比売命を合祀する。
大正11年(1922年)7月21日、河原の南方より大字稲生字京ノ山の現在地に遷座し、今に至っている。例祭は10月16日。氏子地域は稲生塩屋。
なお、市内三宅町の三宅神社が以前までに「加和良神社」と呼ばれていたことがあったため、式内「加和良神社」の参考社とされるが、有力視はされていない。
また、『延喜式神名帳』には丹波国氷上郡の式内社としても、同名の神社があり、現在の兵庫県丹波市氷上町に当社と同名の神社が鎮座する。
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