式内論社の正一位手力明神、明治までは加和良神社とも
三宅神社 三重県鈴鹿市三宅町1259
[住所]三重県鈴鹿市三宅町1259
[電話]059-372-0748

三宅神社(みやけじんじゃ)は、三重県鈴鹿市三宅町にある神社。中の川の北岸近く、田の中に島状に鎮座する。御朱印の有無は不明。

創祀年代は不詳。『延喜式神名帳』にある「三宅神社(伊勢国・鈴鹿郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

『三国地誌』に、俗に正一位手力明神(ちりきみょうじん)を称すとある。戦国時代の天文(1532年-1555年)・元亀(1570年-1573年)の棟札にも千力大明神とある。

社名の由来は不詳であるが、この社の西を「ちぎりはま」と呼んでおり、この名にちなんだものと推定されている。

当社の鎮守する集落は、中の川沿岸で、宇御法にある。この地域は鈴鹿屯倉が置かれた所として著名である。

また、中ノ川と田中川に挟まれた古墳の密集地帯に属しており、長法寺付近から御薗・稲生付近に古墳群がある。

同時に徳居・三宅・南方の三行にかけての丘陵は県下でも有数の須恵器窯跡群の所在地であることから、古代より開発されていた地域であることが知られる。

式内社「三宅神社」の論社としては、市内国府町の同名神社がある。

当社は、もとは長法寺村の東北にあたる字古里の地に鎮座したものと考えられ、天文4年(1535年)に今の長法寺村の位置となる桑田の民家前に遷座した。

一説に、当社は明治までは加和良神社と呼ばれた。そのため、「加和良神社(伊勢国・奄藝郡)」に比定される式内社(小社)の参考社でもある。市内稲生町に式内同名神社がある。

明治初年(1868年)、村社に列し、明治39年(1906年)12月には神饌幣帛料供進社に指定された。

明治40年(1907年)11月、同大字にある全ての無格社を合祀、翌明治41年(1908年)には村社長法寺神社も合祀した。

氏子地域は三宅町・長法寺町・北条地区。例祭は10月10日。主祭神は天手力雄命。合祀神は以下の通り。

金山毘古命稲倉魂命豊宇賀売命迦具土命誉田別命大鷦鷯尊足中彦命大山祇命素盞嗚命天鈿女命木花咲夜毘売命天児屋根命猿田彦命・国狭槌尊・稲田雷光神大日孁命

なお、出口延経『神名帳考証』では当社を河曲郡の式内社「大鹿三宅神社」に比定している。ただし、現在においてはあまり有力ではない。

式内社「大鹿三宅神社」の論社は他に、市内神戸石橋町の神舘飯野高市本多神社に合祀されたもの、池田町の式内同名神社、国府町の当社と同名の神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、産業振興、地域安全
三宅神社 三重県鈴鹿市三宅町
【関連記事】
三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧