平安期に南宮大社を勧請、破敵明神・半手木鎮守、大スギ
[住所]群馬県吾妻郡高山村中山2337
[電話]-
中山神社(なかやまじんじゃ)は、群馬県吾妻郡高山村中山にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
平安時代の元慶2年(879年)、 美濃国一宮の南宮大社を勧請して創立された。『上野国神名帳』に「従四位上 中山明神」とある。ただし、御祭神は金山彦命ではない。
当社の主祭神は木花咲屋姫命。南宮大社内の三宮に高山神社があり、高山神社の御祭神が木花咲屋姫命。南宮山山頂には高山神社の奥宮が鎮座する。
南宮山は中山とも呼ばれ、高山神社から高山村、当社および南宮山から中山の地名が生まれた可能性がある。
城主宇都宮氏の守護神として崇敬された。鎌倉時代末期の元弘2年(1332年)、中山五郎左衛門光能が城主となって社殿を修造、破敵明神と称した。
ただし、『平成祭データ』では、戦国時代の永禄2年(1559年)に破敵明神を合祀、奉斎したとしている。
『神道集』の「児持山大明神の事」に「乳母子の侍従局は半手木鎮守と成った。 本地は文殊菩薩である」とある半手木鎮守に比定され、児持山七社、あるいは吾妻七社明神の一つ。
明治になり、破敵明神から現社号に改称、明治40年(1907年)、境内末社9社及び菅原神社・八幡神社・諏訪神社を合祀した。当社参道には八幡宮の鳥居がある。
合祀神は、菅原道真・誉田別尊(応神天皇)・建御名方命・素戔嗚命・保食命・少彦名命・天照大御神・軻遇突知命・大山祇命・火之迦具土命・大己貴命・大物主神・不詳二座。
宮守神主は当地中山家遠祖より累代奉仕してきたが、大正元年(1912年)より林氏に替り、現在に至る。
大正9年(1920年)8月27日、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和27年(1952年)、宗教法人化、同時に境内地575坪あまりと立木の全てを無償譲与された。
例祭は4月初旬。江戸時代中期の享保7年(1722年)に始まり、村指定文化財になっている江戸流の三島神社太々神楽が奉納される。
境内には、境内社や散在した石祠がある。また、大きなスギの木が何本かあり、「中山神社大杉」として、村の天然記念物に指定されている。
【ご利益】
地域安全、家内安全、安産、子授かり

【関連記事】
・吾妻七社明神とは? - 『神道集』6巻「第三十四 上野国児持山之事」に記載された神々
・群馬県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、群馬県に鎮座している神社の一覧
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中山神社(なかやまじんじゃ)は、群馬県吾妻郡高山村中山にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
平安時代の元慶2年(879年)、 美濃国一宮の南宮大社を勧請して創立された。『上野国神名帳』に「従四位上 中山明神」とある。ただし、御祭神は金山彦命ではない。
当社の主祭神は木花咲屋姫命。南宮大社内の三宮に高山神社があり、高山神社の御祭神が木花咲屋姫命。南宮山山頂には高山神社の奥宮が鎮座する。
南宮山は中山とも呼ばれ、高山神社から高山村、当社および南宮山から中山の地名が生まれた可能性がある。
城主宇都宮氏の守護神として崇敬された。鎌倉時代末期の元弘2年(1332年)、中山五郎左衛門光能が城主となって社殿を修造、破敵明神と称した。
ただし、『平成祭データ』では、戦国時代の永禄2年(1559年)に破敵明神を合祀、奉斎したとしている。
『神道集』の「児持山大明神の事」に「乳母子の侍従局は半手木鎮守と成った。 本地は文殊菩薩である」とある半手木鎮守に比定され、児持山七社、あるいは吾妻七社明神の一つ。
明治になり、破敵明神から現社号に改称、明治40年(1907年)、境内末社9社及び菅原神社・八幡神社・諏訪神社を合祀した。当社参道には八幡宮の鳥居がある。
合祀神は、菅原道真・誉田別尊(応神天皇)・建御名方命・素戔嗚命・保食命・少彦名命・天照大御神・軻遇突知命・大山祇命・火之迦具土命・大己貴命・大物主神・不詳二座。
宮守神主は当地中山家遠祖より累代奉仕してきたが、大正元年(1912年)より林氏に替り、現在に至る。
大正9年(1920年)8月27日、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和27年(1952年)、宗教法人化、同時に境内地575坪あまりと立木の全てを無償譲与された。
例祭は4月初旬。江戸時代中期の享保7年(1722年)に始まり、村指定文化財になっている江戸流の三島神社太々神楽が奉納される。
境内には、境内社や散在した石祠がある。また、大きなスギの木が何本かあり、「中山神社大杉」として、村の天然記念物に指定されている。
【ご利益】
地域安全、家内安全、安産、子授かり

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