吾妻七社明神の白専馬大明神、白鳥大明神、昭和に復社
[住所]群馬県吾妻郡中之条町市城861
[電話]-
白鳥神社(しらとりじんじゃ)は、群馬県吾妻郡中之条町市城にある神社。もとの岩島村大字矢倉村字宮の脇。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
市城駅の南東約500メートルに鎮座。入口は353号線から見えるが、分かりづらい。石段の途中に灯籠と「正一位白鳥大明神」の額が掛かる一の鳥居が立つ。
さらに石段を進むと、境内入口には朱の二の鳥居が立ち、拝殿、鞘堂内に納められた本殿があって、境内には佐倍神、堅牢地神碑が祀られている。
創建年代は不詳。御祭神は日本武尊(倭建命)。『神道集』の「児持山大明神の事」に登場する白専馬大明神に比定され、児持山七社、あるいは吾妻七社明神の一つ。
それには、「阿野津から尾張熱田まで馬に乗せてくれた人も神道の法を授かり、馬は岩尾山の駒形、舎人は今至の白専馬大明神と成った」とある。
このうち、駒形は中之条町青山の駒形神社だったが、明治40年(1907年)、伊勢町伊勢宮に合祀された。
後述のように、当社も同じような状況だが、後に復社するのに対して、この駒形神社は復社せず、今も合祀されたまま。
境内左には磐座のような大磐がある。また、当地付近は、古代から市代の牧と呼ばれた官牧・上野九牧の一つがあり、馬に関係する社が多かったという。
明治になり、村社に列し、現社号に改称した。明治44年(1911年)、伊勢町伊勢宮に合祀された。昭和24年(1949年)に分祀、翌昭和25年(1950年)に旧社地である現在地に再建された。
【ご利益】
旅行・交通安全、事業成功
【関連記事】
・吾妻七社明神とは? - 『神道集』6巻「第三十四 上野国児持山之事」に記載された神々
・群馬県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、群馬県に鎮座している神社の一覧
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白鳥神社(しらとりじんじゃ)は、群馬県吾妻郡中之条町市城にある神社。もとの岩島村大字矢倉村字宮の脇。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
市城駅の南東約500メートルに鎮座。入口は353号線から見えるが、分かりづらい。石段の途中に灯籠と「正一位白鳥大明神」の額が掛かる一の鳥居が立つ。
さらに石段を進むと、境内入口には朱の二の鳥居が立ち、拝殿、鞘堂内に納められた本殿があって、境内には佐倍神、堅牢地神碑が祀られている。
創建年代は不詳。御祭神は日本武尊(倭建命)。『神道集』の「児持山大明神の事」に登場する白専馬大明神に比定され、児持山七社、あるいは吾妻七社明神の一つ。
それには、「阿野津から尾張熱田まで馬に乗せてくれた人も神道の法を授かり、馬は岩尾山の駒形、舎人は今至の白専馬大明神と成った」とある。
このうち、駒形は中之条町青山の駒形神社だったが、明治40年(1907年)、伊勢町伊勢宮に合祀された。
後述のように、当社も同じような状況だが、後に復社するのに対して、この駒形神社は復社せず、今も合祀されたまま。
境内左には磐座のような大磐がある。また、当地付近は、古代から市代の牧と呼ばれた官牧・上野九牧の一つがあり、馬に関係する社が多かったという。
明治になり、村社に列し、現社号に改称した。明治44年(1911年)、伊勢町伊勢宮に合祀された。昭和24年(1949年)に分祀、翌昭和25年(1950年)に旧社地である現在地に再建された。
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