桃山期に創立、江戸初期遷座、8月中之条祇園祭りや1月鳥追い祭
[住所]群馬県吾妻郡中之条町429
[電話]-
伊勢宮(いせぐう)は、群馬県吾妻郡中之条町にある神社。伊勢町1301にある同名の神社とは別の神社である。御朱印の有無は不明。
大字中之条町字反町に鎮座する。中之条駅の西約1.3キロ。境内は1598坪、社殿の四周には、杉や松などの大木が鬱蒼としている。
安土桃山時代の天正17年(1589年)、北条氏直の家臣である猪俣能登守が主命を奉じて、中庄杉木という地に創立した。江戸時代初期の慶長19年(1614年)、現在地に遷座した。
御祭神は、主祭神が伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の神である大日孁尊(天照大御神)、豊受大神宮(外宮)の神である豊受姫命。
相殿に、火産霊命・大山祇命・誉田別尊を配祀するが、これは明治10年(1877年)7月15日に合併したもの。
明治40年(1907年)2月26日、当地の無格社である長岡稲荷神社、八幡宮を合併した。
明治42年(1909年)4月15日、字王子原の無格社である内外神社、須賀神社とその境内末社五社、字五郎の無格社である五郎神社を合祀した。
合祀神は、倉稲魂命・大物主命・素盞嗚尊・稲田姫命・建御名方命・菅原道真公・崇徳天皇・大雷命・鎌倉権五郎景政。
明治45年(1912年)7月19日、神饌幣帛料供進社に指定された。氏子地域は大字中之条町。
例祭は8月第1土・日曜日。いわゆる「中之条祇園祭り」。江戸初期から続いている、夏の疫病払いや商業の繁盛を祈るお祭り。
伊勢に祇園祭りはピンと来ないが、おそらく合祀された須賀神社により続けられてきたものだろう。
各町内より引き出された8台の山車の行列は、神馬、神輿が先導し、稚児たちが後に続き、華やかなお囃子にのって街中を練り廻る。
1月14日に「鳥追い祭」が行われる。慶長9年(1604年)、田畑の作物を荒らす鳥や獣を追い払い、五穀豊穣や町内厄除・家内安全を願って始められた。
江戸時代中期の宝暦年間(1751年-1763年)には、大庄屋の町田重兵衛が町を上下二町に分け、競争で太鼓を作らせたので、一層賑やかな祭礼となった。
明治になると、商売繁盛の願いも加えて、正月の伝統行事として行なわれるようになった。当社拝殿にはこの鳥追い祭の額が掛かっている。
現在も「鳥追いだ、鳥追いだ、唐土(とっと)の鳥を追いもうせ、セッセッセ、サーラバよって追いもうせ」の掛声とともに太鼓をたたきながら町中を練り歩く。
『群馬県吾妻郡誌』によれば、境内社に享保7年(1722年)、当地の氏子が当社境内に遷座した春日社(天児屋根命)がある。ただし、現在は稲荷社と天王宮、とも。
当地はもともと、戦国時代には領主狩野氏の中条城があったとされる。社叢は「伊勢の森」と呼ばれ、大きな森が形成されている。
境内には、目通り2-3メートルの杉の木が40本と、目通り4メートルのケヤキが1本あり、町の天然記念物に指定されている。
【ご利益】
開運招福、厄災除け、病魔退散、五穀豊穣、商売繁盛
![伊勢宮 群馬県吾妻郡中之条町](https://livedoor.blogimg.jp/buccyake_kojiki/imgs/f/1/f1cf32a6.jpg)
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伊勢宮(いせぐう)は、群馬県吾妻郡中之条町にある神社。伊勢町1301にある同名の神社とは別の神社である。御朱印の有無は不明。
大字中之条町字反町に鎮座する。中之条駅の西約1.3キロ。境内は1598坪、社殿の四周には、杉や松などの大木が鬱蒼としている。
安土桃山時代の天正17年(1589年)、北条氏直の家臣である猪俣能登守が主命を奉じて、中庄杉木という地に創立した。江戸時代初期の慶長19年(1614年)、現在地に遷座した。
御祭神は、主祭神が伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の神である大日孁尊(天照大御神)、豊受大神宮(外宮)の神である豊受姫命。
相殿に、火産霊命・大山祇命・誉田別尊を配祀するが、これは明治10年(1877年)7月15日に合併したもの。
明治40年(1907年)2月26日、当地の無格社である長岡稲荷神社、八幡宮を合併した。
明治42年(1909年)4月15日、字王子原の無格社である内外神社、須賀神社とその境内末社五社、字五郎の無格社である五郎神社を合祀した。
合祀神は、倉稲魂命・大物主命・素盞嗚尊・稲田姫命・建御名方命・菅原道真公・崇徳天皇・大雷命・鎌倉権五郎景政。
明治45年(1912年)7月19日、神饌幣帛料供進社に指定された。氏子地域は大字中之条町。
例祭は8月第1土・日曜日。いわゆる「中之条祇園祭り」。江戸初期から続いている、夏の疫病払いや商業の繁盛を祈るお祭り。
伊勢に祇園祭りはピンと来ないが、おそらく合祀された須賀神社により続けられてきたものだろう。
各町内より引き出された8台の山車の行列は、神馬、神輿が先導し、稚児たちが後に続き、華やかなお囃子にのって街中を練り廻る。
1月14日に「鳥追い祭」が行われる。慶長9年(1604年)、田畑の作物を荒らす鳥や獣を追い払い、五穀豊穣や町内厄除・家内安全を願って始められた。
江戸時代中期の宝暦年間(1751年-1763年)には、大庄屋の町田重兵衛が町を上下二町に分け、競争で太鼓を作らせたので、一層賑やかな祭礼となった。
明治になると、商売繁盛の願いも加えて、正月の伝統行事として行なわれるようになった。当社拝殿にはこの鳥追い祭の額が掛かっている。
現在も「鳥追いだ、鳥追いだ、唐土(とっと)の鳥を追いもうせ、セッセッセ、サーラバよって追いもうせ」の掛声とともに太鼓をたたきながら町中を練り歩く。
『群馬県吾妻郡誌』によれば、境内社に享保7年(1722年)、当地の氏子が当社境内に遷座した春日社(天児屋根命)がある。ただし、現在は稲荷社と天王宮、とも。
当地はもともと、戦国時代には領主狩野氏の中条城があったとされる。社叢は「伊勢の森」と呼ばれ、大きな森が形成されている。
境内には、目通り2-3メートルの杉の木が40本と、目通り4メートルのケヤキが1本あり、町の天然記念物に指定されている。
【ご利益】
開運招福、厄災除け、病魔退散、五穀豊穣、商売繁盛
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