奈良時代の勧請、40回超す三十三年祭が続く古社、世計り神事
[住所]神奈川県三浦郡葉山町一色2165
[電話]046-875-6097 - 大戸大明神
森山社(もりやましゃ)は、神奈川県三浦郡葉山町一色にある神社。森山神社とも。近代社格では村社。現在は大戸大明神の兼務社である。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、奈良時代の天平勝宝年間(749年-757年)、鎌倉由比ヶ浜生まれの良辨僧正が勧請したと伝わる。御祭神は奇稲田姫命(櫛稲田姫命)。
往時は「守山大明神」とか「佐賀岡明神」と呼ばれ、佐賀岡、現在の三ケ岡=大峰山に鎮座したという。
江戸時代後期の加藤山寿『三浦古尋録』によれば、当社の祭礼が33年目ごとに行われ、小坪村の天王の神輿を借用したという。
その神輿には、祭礼ごとに札が掲げられ、江戸時代後期の文化9年(1812年)までにその数は34枚あったといい、33×34=1122年の歴史があったという。
ちなみに、この天王は現在の逗子市小坪の須賀神社であり、当社とは夫婦。三十三年祭は、夫の須賀神が妻の当社神に会いに来る行事である。
天正19年(1591年)11月、徳川家康より社領3石の寄進があり、江戸時代中期の『和漢三才図会』によれば、「世計大明神と号す」とある。
毎年11月15日に酒を醸し、翌年正月15日には明神に供し、その酒で善悪を試し、その年の豊凶を図ったという。世計神事、あるいは世計り神事とも。
以上に関しては、江戸時代後期の『新編相模国風土記稿』にも詳細にまとめられている。例祭は現在、8月末の日曜日に改められたが、この神事は受け継がれている。
町指定無形民俗文化財のこの神事は、例祭早朝、氏子総代が神社に集まり、黒漆塗り扉にツルの丸紋所を描いた水屋の中には2個の丸い木だるがある。
氏子たちは水屋をかついで当社の北方3キロ離れた吾妻神社に神泉を汲みに行く。当社に戻ると、宮司は古法通り水量を甕に入れて、次いで麹を入れる。
その甕を正方形の木箱に納め、上から落し蓋をする。蓋は円形に十二支が書いてある。木箱に外蓋をし、神殿の扉を開けて安置する。
甕の水は酒精に変っている、つまり酒を醸すわけだ。発酵する蒸気のため、木札が落し蓋の上に落ちる。南の札が落ちていると南風の強い日が多く、木札が全部落ちていると天候平穏だという。
甕の酒精水の減り具合を物指で計る。水が半分に減っていると来年は凶作。減り方が少ないほど豊作ということになる。
現在、例祭では、子供神輿は担がれ、山車は子供たちが曳いて、大人神輿は台車に載せて廻る。八乙女奉納舞、お水取り神事などもある。
当社は、明治6年(1873年)6月、村社に列し、明治41年(1908年)には神饌幣帛供進社に指定された。昭和39年(1964年)、三十三年大祭を記念して、氏子崇敬者の浄財で現在の社殿が改築された。
境内社に、京都伏見稲荷分社の稲荷大明神、伊勢神宮分霊の神明神社(天照大神・豊宇気毘売神)がある。この神明神社は地元では「だいじごさん(大神宮様)」。
また、船玉神社(底筒男之命・中筒男之命・上筒男之命の住吉大明神)、その相殿に金刀比羅社(金山毘古命)がある。
他に、浅間神社(木花開耶媛命)、厄神社(大国主社。大物主命)、稲倉魂社(宇迦之御魂神(倉稲魂命))がある。
【ご利益】
地域安全、家内安全、夫婦和合、身体壮健、無病息災

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森山社(もりやましゃ)は、神奈川県三浦郡葉山町一色にある神社。森山神社とも。近代社格では村社。現在は大戸大明神の兼務社である。御朱印の有無は不明。
社伝によれば、奈良時代の天平勝宝年間(749年-757年)、鎌倉由比ヶ浜生まれの良辨僧正が勧請したと伝わる。御祭神は奇稲田姫命(櫛稲田姫命)。
往時は「守山大明神」とか「佐賀岡明神」と呼ばれ、佐賀岡、現在の三ケ岡=大峰山に鎮座したという。
江戸時代後期の加藤山寿『三浦古尋録』によれば、当社の祭礼が33年目ごとに行われ、小坪村の天王の神輿を借用したという。
その神輿には、祭礼ごとに札が掲げられ、江戸時代後期の文化9年(1812年)までにその数は34枚あったといい、33×34=1122年の歴史があったという。
ちなみに、この天王は現在の逗子市小坪の須賀神社であり、当社とは夫婦。三十三年祭は、夫の須賀神が妻の当社神に会いに来る行事である。
天正19年(1591年)11月、徳川家康より社領3石の寄進があり、江戸時代中期の『和漢三才図会』によれば、「世計大明神と号す」とある。
毎年11月15日に酒を醸し、翌年正月15日には明神に供し、その酒で善悪を試し、その年の豊凶を図ったという。世計神事、あるいは世計り神事とも。
以上に関しては、江戸時代後期の『新編相模国風土記稿』にも詳細にまとめられている。例祭は現在、8月末の日曜日に改められたが、この神事は受け継がれている。
町指定無形民俗文化財のこの神事は、例祭早朝、氏子総代が神社に集まり、黒漆塗り扉にツルの丸紋所を描いた水屋の中には2個の丸い木だるがある。
氏子たちは水屋をかついで当社の北方3キロ離れた吾妻神社に神泉を汲みに行く。当社に戻ると、宮司は古法通り水量を甕に入れて、次いで麹を入れる。
その甕を正方形の木箱に納め、上から落し蓋をする。蓋は円形に十二支が書いてある。木箱に外蓋をし、神殿の扉を開けて安置する。
甕の水は酒精に変っている、つまり酒を醸すわけだ。発酵する蒸気のため、木札が落し蓋の上に落ちる。南の札が落ちていると南風の強い日が多く、木札が全部落ちていると天候平穏だという。
甕の酒精水の減り具合を物指で計る。水が半分に減っていると来年は凶作。減り方が少ないほど豊作ということになる。
現在、例祭では、子供神輿は担がれ、山車は子供たちが曳いて、大人神輿は台車に載せて廻る。八乙女奉納舞、お水取り神事などもある。
当社は、明治6年(1873年)6月、村社に列し、明治41年(1908年)には神饌幣帛供進社に指定された。昭和39年(1964年)、三十三年大祭を記念して、氏子崇敬者の浄財で現在の社殿が改築された。
境内社に、京都伏見稲荷分社の稲荷大明神、伊勢神宮分霊の神明神社(天照大神・豊宇気毘売神)がある。この神明神社は地元では「だいじごさん(大神宮様)」。
また、船玉神社(底筒男之命・中筒男之命・上筒男之命の住吉大明神)、その相殿に金刀比羅社(金山毘古命)がある。
他に、浅間神社(木花開耶媛命)、厄神社(大国主社。大物主命)、稲倉魂社(宇迦之御魂神(倉稲魂命))がある。
【ご利益】
地域安全、家内安全、夫婦和合、身体壮健、無病息災

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