「にえもつの里」の「シメシカケノ森」、隼人の祖、安産の神
阿陀比売神社 奈良県五條市原町24
[住所]奈良県五條市原町24
[電話]0747-23-0178 - 御霊神社

阿陀比売神社(あだひめじんじゃ)は、奈良県五條市原町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「阿陀比賣神社(大和国・宇智郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。当神社の周辺一帯、阿太には縄文・弥生・古墳時代の遺跡が点在している。当地は「にえもつの里」とも呼ばれる。
『古事記』
從其八咫烏之後幸行者、到吉野河之河尻時、作筌有取魚人。爾天神御子、問「汝者誰也。」答曰「僕者國神、名謂贄持之子。」此者阿陀之鵜飼之祖。

『日本書紀』
及緣水西行、亦有作梁取魚者。梁、此云揶奈。天皇問之、對曰「臣是苞苴擔之子。」苞苴擔、此云珥倍毛菟。此則阿太養鸕部始祖也。
初代神武天皇の東遷の最中に出会った国つ神の話。阿太地方の国津神、贄持の子が阿太養鵜部の祖とされる。

この伝承にちなむのが、当社の東方の森にある「シメシカケノ森」。禁足地で、当社のもとの地ともされ、別名を比売火懸の森(姫火懸の森)という。

一説に、当社は第10代崇神天皇15年の創祀と伝えられる。また、奈良時代の神亀5年(728年)、藤原武智麿が神戸(神殿)を寄進したとも伝えられる。

主祭神は社名通り、阿陀比売神。大山津見神の娘で、神阿多津比売ともいい、またの名を木花咲耶姫という。姉に磐長姫命がいる。

彦火火出見命も併せて祀り、火須勢理命(富乃須洗利命)・火照命(火闌降命)を配祀する。いずれも主祭神の子であり、火照命は隼人の祖である。

『和名類聚抄』には、当社鎮座地である大和国宇智郡阿陀郷の他、薩摩国阿多郡阿多郷がある。阿多隼人の居住地。両者の関係を指摘する説がある。

『新撰姓氏禄』には、大和国別神に、富乃須洗利命の後の二見首、火闌降命より出る大角隼人とあり、山城国神別にも富乃須佐利乃命の後の阿多隼人とある。

ともかく、往時は郷民が当社を尊崇し、春は3月20日、夏は6月20日、秋は9月20日、冬は11月20日の四時に祭祀を行った。

その中でも3月20日は安産御祈願の日として御神徳が顕著だったと伝わり、現在も当社は安産の神として崇敬されている。

南北朝時代の正平年間(1346年-1370年)、高師直が来襲して兵火に罹ったが、室町時代の明徳4年(1393年)、社殿を再建した。

寛正2年(1461年)3月、社殿を修造。この時の棟札があったと伝えられるが、現在はその所在が不明になっている。

春日造、檜皮葺、主屋方2.1メートル、彩色を施した当社本殿と、境内社の八坂神社(素戔鳴命)の社殿は、江戸時代初期の建築とされ、市指定文化財。

安産の神として、古来より信仰厚く、鈴の緒を戴き腹帯にする。男児を欲する時は白、女児を欲する時は赤。無事出産すると、新しい鈴の緒を奉納する習わしがあった。

例祭は、10月19日・20日。今日では、例祭に腹帯を祈祷し、総代宅に保管して授与している。へそのおを切った竹べらを捨てた所などと伝わるタケヤ・タケガイト・チモリなどの伝承も多い。

八坂神社の他、境内社に、天照皇太神社(天照皇大神)、熊野神社(伊弉諾尊)、春日神社(武甕槌神)、八幡神社(誉田別尊)、金刀比羅神社(大物主命)がある。

【ご利益】
安産、子宝、子育て、一族・子孫繁栄
阿陀比売神社 奈良県五條市原町
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